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自分を客観視してる人

by 唐草 [2012/05/31]



 地獄のミサワのネタにもあったが自称「自分を客観視できる」と主張する人間にはイラッとさせられることが多い。以前、退任時に「自分を客観視できる」と言い切った首相がいたが、その会見にあまりいい印象は残っていない。
 「自分を客観視できる」と主張する人間が発する「自分は君たちよりも一歩上にいる」というオーラが、自分たちを主観でしか見られない多くの人々をいらつかせるのだ。本当に自分を客観視できているのならば、「自分を客観視できる」という発言が周囲の人にどのように受け止められるかを容易に想像できそうなものなのだが……。
 ぼくの狭い人間関係の中にも様々なタイプの人がいる。自称「自分を客観視できる」という人間も数人いたが、残念ながらその発言に納得できる行動が伴わなかった場合が多いように記憶している。
 一方で、こういう人こそ自分を客観視しているんだと心底感心させられた方もいる。一番印象に残っているのは次のような発言だ。
 「今、私は○○に対して怒りを感じている。この状態では自分の判断に自信が持てないので、今から言う自分の主張に一貫性があるか確認して欲しい。」という発言だ。つまり、いくら客観視しようとしても感情的になっている自分の主観に強く影響される可能性があるので、本当に客観である第三者に客観性の判断を委ねているという訳だ。いくら頑張って客観的にものごとを捉えようとしても最終的には主観を通らざるを得ないという冷静な判断。この判断ができている状態を怒りと呼んで良いものだろうかと冷静さを失ったのはぼくの方。
 この出来事があって以来、ぼくは人のタイプを次の3つに分けている。

1.客観性を理解していない主観しか無い人
2.自称「自分を客観視できる」人
3.客観視しようとしているのは主観だと気がついている人

 ぼくはまだ2番のように思える。常々3番の境地にたどり着こうと試みているのだが、何かがうまくいかなかったりすると途端に1番の状態に陥ってしまう。なお、3番の次の段階があるかが最近気になっている。昔の人は、それを悟りと呼んだのかもしれない。