カレンダー

2014/09
 
    
       

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

名前を付けよう

by 唐草 [2014/09/16]



 黒澤明の『夢』の中に「赤富士」という作品がある。これは、富士山にある原発が爆発をして着色された放射性物質が霧のように襲ってくるという作品だ。目に見えないから怖いので、分かるように色を付けましたという設定だったように記憶している。目に見えない放射能の恐怖が、目に見える形になっても恐怖のまま変わりないというような作品だ。
 その劇中で色の付いた放射性物質を見て「死神に名刺をもらってもしかたがない」とつぶやく男がいる。
 確かにこれから死んでしまうのならば、それを知っても意味がない。
 これには全面的に同意できるが、人類の歴史を考えてみるとさまざまな恐怖に名前を付けることで、恐れを克服しようとしてきたように思える。
 分からないから怖い。これは、根源的な恐怖だと思う。暗闇が怖いのは、何が潜んでいるか分からないから。
 今日の地震でそんなことを考えていた。
 なんでこんな話に飛躍したかと言うと、震度という尺度を考えた人の功績を再確認したからだ。
 揺れを感じてぼくはこう思った。
 「この揺れなら震度4ぐらいだろうか?だったら、大丈夫だろう」
 まさに訓練された日本人らしい感覚だ。そして、予想通り震度4だった。
 ぼくは、震度4という推測を立て、今自分が経験している揺れに名前を与えた。そして、揺れを理解できる物理現象と捉え直すことで落ち着きを取り戻した。
 もし、震度と言う尺度が無かったら、揺れにおののいていただけだろう。外国人が日本の地震に恐怖するのは、揺れを理解できないからだろう。
 名前を与えるということは、相手を自分の理解に落とし込むことの一部。震度は被害を科学的に判断するために作られた尺度だが、揺れを理解するための名前として貢献しているように思える。
 死神の名刺は欲しくないが、名前を知るってのは冷静さを保つために必要なことだと思う。