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札束

by 唐草 [2015/04/06]



 年に一度、この時期にだけ札束を手にする機会がある。
 と言ってみたが、実際のところ札束と呼ぶには物足りない金額だ。「普段お金に触れる機会の少ないぼくにとって」という枕詞を付けて初めて成立する札束だ。
 額面的に札束と呼ぶに十分ではないとはいえ、お札の厚みを感じるには十分だ。1cmには遠く及ばないけれど、ぼくの中折れ財布には入りそうにない。
 銀行ATMで下ろした直後は、何度も鞄を確認してしまう。ちょっと挙動不審な人物に見えたかもしれない。
 お金の使用目的は、至って健全だ。
 年金などの支払いが主な使い道。この使い方から、ぼくがいくら下ろしたのか容易に推測できることだろう。去年から年金の支払いを一括にしている。そのため、この時期だけまとまったお金が入り用になるわけだ。
 ちょっとばかり厚みを感じる封筒を手に支払窓口に進む。ドキドキしながらお金を数えて窓口の事務員に渡す。
 窓口の人にしてみれば、こんな金額は1日に何度も扱う額だろう。彼らからすれば100万未満の金額なんて取るに足らない少額と言って差し支えないのだろう。まるで新聞でもめくるような手慣れた手つきでお札の枚数を数えている。ああ、ぼくのドキドキがあんな手軽に扱われている。なんだかちょっと悔しい。
 いっそのこと、1万円札ではなく千円札で支払ってやれば良かったのかもしれない。そうすれば10倍のボリュームになった。きっと片手で扱うには質量的に重いはずだ。と考えている間に事務員さんは、枚数を数え終えていた。
 こうして年金の支払いは無事終わった。
 ぼくが1年で唯一札束と呼べる可能性のある日は、つつがなく終了した。ATMで引き出して窓口に向かうそのわずかな間、一瞬のお金持ち気分を味わう。そんな春の恒例行事。