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20世紀少年を読み返す

by 唐草 [2015/05/05]



 このゴールデンウィークは、しばらく読んでいなかったマンガを読み返してる。本棚にしまわれたっきりになっているマンガに日の目を当ててやろうという計画だ。何年かぶりに本棚から出したマンガには、ベッドの下をモップ掃除したときのような埃の塊が幾重にも積もっていた。やはり、足下に置くタイプの本棚は埃に弱いなぁ。
 埃を払って今日ぼくが手に取ったのは『20世紀少年』。
 ぼくは、このマンガが好きだ。だが、ネットでの評判はあまり芳しくない印象がある。
 ネットで否定的な意見を述べている人たちの意見をまとめると「悪役の"ともだち"の正体が唐突すぎて訳分からない」というような意見が大半だ。
 確かにぼくもその意見には賛同せざるを得ない。
 だが、実際のところ"ともだち"の正体が誰かなんて言うのは、あの作品の中では重要じゃない。
 一番重要なのは、誰が"ともだち"を生んでしまったのかということに尽きると思う。
 実は、主人公のケンヂが"ともだち"を生み出してしまっている。だけれども、そのことに気がついていない人が多いように思える。
 『20世紀少年』は、中学時代の主人公が校内放送でT-REXの『20世紀少年』というロックな曲をかけたが何も起こらなかったというところから始まる。本編とは何の関係もなさそうなこの出来事が、結果から言えば物語で最も重要なポイント。
 『20世紀少年』をかけた日、"ともだち"は屋上から投身自殺をしようとしていた。だが、音楽に耳を奪われ自殺を思いとどまる。もし音楽が流れなかったら後に世界を滅ぼす"ともだち"となる少年は死んでいた。
 何も起こらなかったように思えた出来事だったが、実は悪魔の命を救っていた。
 世界を救った主人公こそ、悪魔を生み出した(正確には助けてしまった)張本人なのである。
 この構造が分かると『20世紀少年』ってなんだか悲しい物語に見えてくるし、実は同じ作者の『モンスター』と基本骨格が類似している事も分かる。
 ネットでは「大風呂敷を畳めていない」という酷評が多いが、その認識は正しくないとぼくは訴えている。酷評している側が大きすぎる風呂敷のサイズを正しく認識できていないだけではないだろうか?