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2枚の履歴書

by 唐草 [2017/02/21]



 事務処理なんて、ある部分では本質的な意味を失い形骸化した儀式に成り下がっている。毎年恒例の履歴書を書きながら、今年も去年と同じようなことを考える。
 そう言えば、以前知人が「事務への書類提出なんて、事務係が"仕事をした"と満足するために存在する仕事だ」と乱暴なことを言っていた。ぼくは、この言葉を否定できない。確かに、煩雑で冗長な報告やら書類を書かされることが多い。事務員のスキルの頼ることなく、かつ例外を認めないシステマチックで確実な仕事の流れを実現するためには、無駄が生まれることを承知でプロトコルを決めてマニュアル化するしかないのだろう。
 さて、ぼくがなんでこんな風に事務への落胆を示しているのかと言えば、毎年履歴書を書かされるからだ。
 法の網をくぐるために、建前上ぼくは毎年新規契約を結んでいることになっている。3月にクビを切られて4月に雇用というような感じだ。そんな穴だらけの網をくぐり抜けるために、毎年履歴書を出すことになる。実にバカらしい。もちろん内部的には、なんら更新がある訳ではない。事務処理用の番号だって、何年もずっと同じままだ。
 これだけでもバカらしいのだが、ぼくが腹を立てているのは毎年履歴書を出すことではない。
 毎年、同じ履歴書を2回に分けて2通出さなくてはいけないことに怒っているのだ。
 ぼくは、同じ組織の2つの部署から別々に雇われている扱いになっている(給与はまとめて振り込まれるけど)。だから、前述の網くぐりのための契約を2回行うハメになっている。同じ組織の異なる部署とそれぞれ契約を結んでいるというぼくのスタイルが、例外的な可能性も否定はできない。でも、だからと言って同じ担当者にまったく同じ書類を2通だすのは、バカげているし、何より非合理だ。事務だって同じ書類を2回見ても仕方がないだろうに。
 もし、手書きで履歴書を書いていたら、もっと烈火のごとく怒り狂っているだろう。
 でも、ぼくの履歴書はPDF化されている。しかも、顔写真まで埋め込んであるから、プリントアウトして印鑑を押すだけ。2通作らされると分かっているので、こっちも最大限手抜きができるように構えているのである。そんな手抜きの履歴書でOKなんだから、送る意味ってほとんどない…。そう分かってしまったから、なおさら徒労感に襲われるのだ。