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時を告げる鐘

by 唐草 [2017/03/03]



 天井裏を整理していたら、年代を感じさせる黄ばんだ新聞紙に包まれたものが目に入った。長さ40cmぐらいの箱のように見える。手に取ってみるとずっしりと重い。新聞紙の日付は、昭和63年となっている。収納されて30年ぐらい経過しているのか…。
 既に破けている新聞紙を剥がしていくと、ニスを塗られた暗い色の木版が見えてきた。
 新聞紙に包まれていたのは、なんと年代物の振り子時計だった。なんでこんなものがあるんだ?ぼくは、まったく見覚えがない。
 どうやらその時計は、祖父母の実家で使われていたものらしい。紆余曲折あって我が家の物置で四半世紀以上時を止めたままとなっていたようだ。
 試しに動かしてみよう。映像でしか見たことのないゼンマイを巻く体験をしてみよう。そう思って、ワクワクしながら時計を開けた。
 だが、残念なことにゼンマイを巻くためのネジはどこにも見あたらなかった。30年もの眠りから覚めたのだが、再び時を刻むことはできないようだ。
 振り子時計には、当然のように時を告げる鐘が付いている。毎時0分に時の数だけ鐘を打つし、30分になると1回鐘が鳴る。もっとも鐘と言っても蚊取り線香のような渦巻き状の鉄線だったことには驚きを隠せない。
 それにしても1時間ごとに鐘が鳴るというのは、今の感覚からするとずいぶん自己主張の強い道具に感じられる。同時に、合理的な時報システムだとも思えない。
 例えば鐘が1回なったとき、それは1時なのか?はたまた12時半なのか?判断することはできない。鐘の数で11時と12時を区別するには、鳴った回数をちゃんと数える必要がある。使えそうで使えない時報システムに思えてならない。
 ぼくだったら、毎時0分に2回、毎時30分に1回というシステムにすると思う。2回ぐらいだったら何回鳴るかカウントする必要も無いし、12時半、1時ジャスト、1時半と3連続で同じ鐘が鳴ることも避けられる。
 こんな具合に今さら過ぎるが振り子時計の鐘について真剣に考えてしまった。この合理性だけを求める考え方が、余裕のない現代的なのかもしれない。振り子時計が全盛期だった頃は、もっと何もかもがおおらかだったのかもしれないなぁと思ってもいる。