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フリマは苦手

by 唐草 [2018/05/27]



 今日は、近所で開催されたフリーマーケットに行ってきた。行ったといっても、買い物をしてきたわけでもなければ、店主になったわけでもない。搬入と搬出を手伝っただけである。
 タイトルにもあるようにぼくは、フリマが苦手である。行きたいとも思わないし、何かを売りたいとも思わない。
 何がキライなのだろうか?
 もたもた開店準備を手伝っていたら開場5分前になっていた。時間的にはまだ開場していないはずなのだが、あたかも出品者のような顔をした客が大勢いた。まだ品を並べているのに品定めする人に取り囲まれていたのだ。
 開口一番「安くならないの?」とか聞いてくる。確かに値段交渉による値引きはフリマの醍醐味かもしれない。だからと言って、開場5分前から値切ろうとするな。厚かましいにも程がある。呆れるほど欲望全開である。
 このやり取りを通して、ぼくがフリマを苦手としている理由が分かったような気がする。
 1円でも安く買ってやろうとする貪欲な熱意に気圧されてしまうのだ。もちろんこの姿勢は、フリマでものを購入する際には必要なものかもしれない。でも、ぼくはここまで自分の貪欲さを前面に押し出してまで何かを欲しいとは思えないのだ。だから、周囲の熱量に飲み込まれてクラクラしてしまう。ここは自分のいるべき場所でない。そんな思いに駆られてしまい、逃げるように会場を後にしたのだった。
 他の出品者の品にも興味が持てなかった。今回のフリマは、手作り市などのクリエイターが集うものではなく、リサイクル市とでも言うような中古品の販売会だった。ぼくの目からすると、多くの店にはゴミしか並んでいないように見えてしまう。掘り出し物を探そうとする熱意なんてものは、ぼくの中には微塵もないのである。
 少し話が変わるが、ぼくはテレビに素人が出ている企画がたまらなくキライだ。自分を大きく見せようとして必至に背伸びしているように見えてしまう。それが痛々しく感じてしまうのだ。共感性羞恥とはまた違う感覚だと思う。
 フリマでも似たような痛々しさを感じてしまう。素人が背伸びしてお店屋さんごっこをしている。そんな風にぼくの目には映ってしまうのだ。
 そんな訳で、熱量が足りないぼくはフリマが苦手だ。