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おにぎりの手順

by 唐草 [2018/06/01]



 昨日の記事で、仕事のある朝はコンビニおにぎりを食べることが多いことを書いた。これは、昨日の記事に限らずいろいろなところに書いてきた気がする。
 仕事のある日の朝食をコンビニおにぎりにする理由はいくつかある。詳しく書くとトイレにまつわる話ばかりになるので割愛するが、なによりも重要なのは腹持ちが良いと言うことである。おにぎりを食べるとお昼まで間食なしに元気に行動できる。やはりパンよりご飯だ。日本人の魂が形を成したら、きっと三角形になるに違いない。
 週に2度3度と職場である大学の講師室でおにぎりを黙々と食べている。コンビニ店員にこそあだ名を付けられてはいないが、他の先生たちからは「おにぎり先生」と呼ばれていても不思議は無い。
 買うおにぎりの種類が偏らないようにまんべんなく様々なおにぎりを購入している。コンビニのおにぎりは定番以外どんどん変わっていく。好奇心からでも絶対手に取らないようなゲテモノ寸前のおにぎりもあれば、期間限定販売だったことを知っておにぎりコーナーの前で涙したお気に入りもあった。味に関しては、飽きることはない。
 コンビニの確かな経営戦略のおかげで味には飽きていないが、ぼくの中には飽きに似た感覚が生まれてきている。
 おにぎりを食べる行為そのものに飽きを感じ始めているのだ。個人的には20世紀に日本が生んだ最大の発明だと思っているおにぎりの包装。あれは確かに便利なものだが、海苔をちぎらないように開封するには工夫がいる。
 また、コンビニのおにぎりを無計画に頬張っていくと必ず崩壊する。だから、ある種の手順を遵守して食べる必要がある。
 これら一連の行為が最適化されすぎた結果、ぼくにとっておにぎりを食べるという行為はもはや食事ではない。まるでおもちゃの電池を取り替えるような、エネルギー補給に成り下がってしまっている。
 これって、以前にカレーを食べるのに飽きたときと完全に同じパターンである。カレーソースとご飯の割合だけを考えてスプーンを動かす行為に飽きてしまった。味は美味しくても、何度も同じことをしているというストレスが前面に出てきてしまうのだ。
 食事に楽しみを見いだせないのは、人生において大きな損失である。朝のおにぎりやめようかな。それか、斬新なおにぎりの食べ方を開発するかだな。