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風に向かう車

by 唐草 [2018/08/31]



 なんの前触れもなく唐突に昔の記憶を思い出すことがある。シナプスが予期せぬつながりを作ってしまった結果なのか、はたまた潜在意識にだけ訴えかける小さな刺激があったのだろうか?因果はさっぱりわからないが、四半世紀以上前の小さなことを思い出した。
 ぼくが思い出したのは、小さい頃持っていた工作図鑑に掲載されたある玩具である。ゴム動力の玩具などの作り方を写真付きで解説していた黄色い表紙の図鑑は、小さい頃のお気に入りの一冊だった。見よう見まねで作ったものもいくつかあったが、小学生低学年ぐらいの工作能力ではどれもうまくいかなかった。それでも、作っているだけで楽しかったし、次は何を作ろうかとページをめくっているだけでワクワクできたものだった。
 ところが、そんな図鑑の存在は完全に失念していた。ワクワクした少年の心を含めて完全に記憶の引き出しの奥底にしまわれていたようだ。
 でも、ふとある玩具を思い出したことで、数珠つなぎのようにいろいろな記憶が蘇ったのである。
 ぼくが思い出した玩具は「風に向かう車」というような名前の玩具だった。
 簡単に言うと、風車塔に4つの車輪がついたような玩具である。風車と車輪がギアでつながっているので、風車が回れば車輪も回るという小学生でもすぐに理解できる機構の玩具である。図鑑では、向かい風に向かって進む動力いらずの玩具だと紹介されていた。機構を考えれば納得である。風が吹けば、風車が回る。風車が回れば、車輪も回る。車輪が回れば、前進する。実に明快な理屈だ。
 当時のぼくは、図鑑に書かれたことを素直に理解して、作ってみたいと思っていた。でも、ギアも風車のプロペラも手に入らなかったので、結局作ることはなかった。
 幼き日の記憶を取り戻した今、ぼくは風に向かう車に強い疑念を感じている。風車が回ることで得られるエネルギーと向かい風に向かって進むエネルギーのバランスを考えると、どうにも釣り合いがおかしいように思えてならない。抵抗のことを考えると風が吹いても風車が回らず動かないのではないかという疑念が渦巻いている。それに飛行場に置いてあるプロペラ機が向かい風に向かって勝手に進んだなんて話も聞いたことはない。
 子供の頃は素直に風の力を信じられていたのに、大人にいなって社会の風当たりの強さを知ってしまうと疑いばかり増してしまう。