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紙パックとストロー

by 唐草 [2018/10/02]



 ここのところ欧州では、ストローが目の敵にされていると聞く。哀れなウミガメの鼻に突き刺さった強靭なストローが世論を動かしたらしい。結果、プラスチック製ストローの排斥が進んでいる。
 確かに飲み物を飲む数分のためだけにプラスチックのストローを使うのは、贅沢を通り越して無駄な事かもしれない。合理的に考えれば無駄なのだが、自分が小さかった頃のことを考えてみると無下に切り捨てることはできない。ファミレスなどでジュースに付いてきた飲み口が曲がる蛇腹ストローは、幼いぼくの気持ちを大いに高ぶらせてくれた。クネクネと曲げながらチュウチュウとジュースを吸っているといつもと違う外食の雰囲気に包まれていることを実感できた。そしてジューズに息を吹き込んで水面をブクブク言わせて怒られるまでが様式美であった。
 プラスチック製ストローが紙製ストローに置き換わってしまったら、ストローをクネクネ曲げてお出かけの気分を満喫することはできなくなってしまう。合理的だが、彩りの少ない世界になりそうである。
 鑑賞に浸っている場合ではない。小さな子供のために蛇腹ストローを残すためにも、大人が努力しなくてはならない。それが、既にクネクネさせた世代の責務である。
 と、カッコを付けてみたもののぼくは、今でも多くのストローを使っている。クネクネもブクブクもさせていないが、幼かった頃より多くのストローを消費している。コンビニで500mlの紙パックを買うことが多いからだ。三つ子の魂百までとでも言ったところだが、今でもフルーツジュースやコーヒー牛乳などのお世話になっている。
 コンビニでお弁当を買うと必ず箸をつけるか聞かれる。コスト削減のため付属品は1つでも少なくしたいのだろう。でも、500ml紙パックを買うと弁当とは違う展開が待っている。一切の質問無く、それが常識であるかのようにストローを付けてくれる。でも、紙パックを見て反射的に対応している訳ではないようだ。初めからストローが付いているグリコの『マイルドカフェオーレ』だと絶対にストローを付けてくれない。明確で揺るぎない基準が、確かに存在しているのだ。
 今日は、コンビニで牛乳の500mlパックを買った。スーパーでの価格と比べると暴利と言わざるを得ない価格だったが、牛乳たっぷりのコーヒーを飲めない苦しさを我慢することはできなかった。伝説の牛から絞った幻の牛乳を買っているんだと自分を言い聞かせ会計を終えた。店員から渡されたビニール袋には、ちゃんとストローが入っていた。
 ぼくは、500mlの牛乳を紙パックからストローを使って花の蜜を吸う蝶のようにチュウチュウと飲む人間に見られたのだろうか?牛乳を飲むとしてもパックからストローで飲んだりはしない。左手を腰に当て、右手で持った紙パックに直接口をつけてゴクゴクと大胆に飲む人間だと思われたい。だからといって店員に文句を言うようなクレーマーではない。ぼくは、落ち着いてストローを眺める余裕があった。
 だって、前に1リットルの大きなパックを買ったら長いストローを付けられたことがあるんだもの。それに比べたらずっとかわいいものだ。