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交通ルールを守ろう

by 唐草 [2018/10/17]



 なんの脈絡もなく古い記憶が蘇った。もしかしたら無意識下に働きかける記憶のトリガーのようなものが目の前に転がっていたのかもしれないが、それがなんであったのかは皆目見当がつかない。
 蘇ったのは、ぼくが小学生6年生だった頃の記憶。つまり、前世紀の出来事である。
 小学生だと高学年になっても「交通ルールを守りましょう」みたいなことを繰り返し言われる。だが、いくら言っても焼け石水である。小学生なんて目に見えている範囲が世界の全てであり、自分の立っているところが世界の中心だとしか考えていない。自分のすぐ横に危険が転がっているなんてまったく考えていない。いつも通っている道で車に轢かれることなんて考えてもいないし、世の中のすべての車は自分を見つけて止まってくれるものだと信じている。
 だから「交通ルールを守りましょう」という言葉は、お題目のようなものでしかないだろう。積極的に信号無視をするわけではないが、道を渡りたいと思ったら横断歩道がないところでもダッシュで飛び出ていたのだろう。あたかも自分がルールであるように振る舞う小学生(特に男子)は、小さな群れをなす獣だと思ったほうが良いのかもしれない。今思えば、ぼくはこんな感じだった。
 だが、そんなぼくをガラリと変えた言葉がある。
 あれは、ぼくが通っていた塾のY先生が言った言葉だった。
 Y先生が言ったのは横断歩道を渡りましょうというありふれた注意である。たぶん塾の前の道を横切る小学生があまりにも多く、苦情が寄せられていたのだろう。ただの注意であれば、ぼくは右から左へと聞き流していに違いない。でも、Y先生の言い方は独特だった。
 「横断歩道以外で轢かれると保険が減るから損だぞ、だから横断歩道を渡っておけ」と言ったのである。
 実利主義とでもいえば良いのだろうか?地も涙もない考え方である。交通事故を損得勘定で考えるのはどうかと思うという意見もあるだろう。下手をしたら当たり屋を生んでしまうかもしれない。だが、この考え方は小学生のぼくにとって初めてのものであった。まるで雷に打たれたかのような衝撃があった。この言葉はグサリとぼくの心に刺さり、それ以来ぼくはちゃんと横断歩道を渡るようになった。
 小学生にどれだけ交通安全を訴えても、交通事故による怪我を想像できないので心に響かない。でも、それがお金につながると言われると守る意義を感じられる。心に高尚な理念を刻み込むのも結構だが、やはり目先の損得で示した方が人はきちんと動くのではないだろうか?それとも、ただ単にぼくが守銭奴だったから心に響いただけなのだろうか?