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最後の悪あがき

by 唐草 [2018/12/15]



 最近はすっかりまっとうな社会人のような生活リズムになっている。と言っても、あくまで「ぼくの判断では」という意味である。午前9時から10時の間に家を出る日もあるので、模範的な社会人からすればまだまだゆるい生活だろう。それでも家に引きこもって開発案件を請け負っていたときに比べればずっと平均値に近づいた感じがする。
 生活時間帯が変わったこと以外にも変化がある。自宅のMacをほとんど使わなくなってしまった。唯一使うのは、ここを更新するための文章を打つときぐらい。長年の相棒だったMac proが力尽きたとき、ぼくは片腕をもがれたような喪失感に襲われていた。PCを失うことは、ぼくにとって職を失うのと同じだからである。
 職場のノートPCを持って往復していたこともあったが、持って帰ってきてもほとんど使わなかった。新しいmac miniが発表されても購入には至らなかった。1000文字打つぐらいなら最新のPCである必要はない。今の環境で十分である。
 それでも電源の入らなくなってしまったMac proを見ていると寂しい気持ちになる。このMacで様々な仕事をこなしたし、結構な額を稼いでいる。それが冷たいただのアルミの箱になっているのは、ぼくの気分までも冷たくしてしまっている。でも、感傷に浸っているからと言って修理のために3万円近い電源を購入する気も起きない。それは老人に対する無意味な延命治療と同じだ。老兵が去っていくのを静かに見守るしか無いのである。
 と心を決めて静かに変化を受け入れることにしていたのだが、やはり完全には諦めきれていなかったようだ。この期に及んで自分のミスに気がついたのである。きっと無意識に可能性を探り続けていたのだろう。
 症状から電源の不調だと思い込んでいたので、他の小さな可能性を考慮していなかった。長年使っていたPCで起きる見落としがちなミスがある。それはマザーボードの電池切れ。普通は電池が切れる前に他のパーツが壊れるので滅多に電池交換なんてしない。だから、ぼくもすっかり可能性から除外していた。
 ぼくのMac proが電池切れの可能性は極めて低い。ぼくのPCオタクな経験がそう断言している。でもそれは万にひとつの可能性を無視して良いという意味ではない。200円ぐらいでチャレンジできるお手軽な蘇生ならダメ元でチャレンジする価値はあるだろう。
 これが、本当に最後の悪あがき。