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お茶の量

by 唐草 [2019/03/22]



 職場の食堂にあるセルフのお茶システムが更新された。この前までは、手動レバー式蛇口がついた巨大なタンクが置かれているだけだった。運動部の下級生が持たされていそうな給水タンクのような水筒を更に巨大化したものを想像してもらえればだいたい正解だ。冷たい水と温かいほうじ茶のあわせて2個の巨大なタンクがドドンと鎮座していた。
 新しく導入されたのは、ファミレスのドリンクバーに置いてありそうなモダンなマシンである。もうレバーなんてアナログな機構はない。ボタンを押すと対応したドリンクが注がれる。ただし悲しいことに3系統のドリンクがセットできるマシンであるにもかかわらず、3つとも煎茶となっている。アイスとホットを選べるのはありがたいが、ドリンクマシンの性能を十分に活かしきれていない運用に疑問を感じずにはいられない。まぁ、ミルクや砂糖を用意するとコストが掛かってしまうので緑茶しか置けないのは分かっているけど、せめてほうじ茶と緑茶を選べるようにしてほしかった。
 お茶マシンに湯呑をセットしてホット緑茶ボタンを押した。ピッピッという規則正しい電子音を奏でながら、心もとない弱々しい流れでお茶が湯呑へ注がれていく。
 しばらくして、電子音とお茶の流れが止まった。
 湯呑の中を覗くとなんだかお茶の量がとても少ないように見えた。半分入っているかどうかと言ったところ。これじゃ、一口分じゃないか。もっとお茶をたくさん飲みたかったぼくは、湯呑をそのままにしてお茶を継ぎ足すことにした。
 このマシンは、ボタンを押している間だけお茶を出すのだろうか?ぼくがスイッチから手を離すのが早かったからお茶の量が少ないのだろうか?お茶のボタンをもう一度押し、お茶が注がれ始めると同時に電光石火の早業でボタンから手を話した。
 だが、電子音もお茶の弱々しい流れも止まらなかった。無情に熱いお茶は注がれ続け、湯呑の口からはとうとうと緑の液体が溢れ始めた。溢れ続けるお茶を為す術なく眺めながら、ぼくは考えていたことがある。
 ぼくは、器になみなみと注がれている状態が好きなんだ。コーヒーを淹れたときは、表面張力を感じられるぐらいギリギリまでマグカップに注ぐ。うどんやラーメンを作ったときも丼を動かすと溢れるぐらい汁を入れるのが好きだ。そう言えば、小学生の頃に友人宅で夕飯をごちそうになったときにこんなことがあった。その時、食卓に並んでいた味噌汁がお椀の半分程度しか入っていないくて、食べかけを渡されたのではないかとドギマギしたという経験だ。
 器が満たされたと感じる割合というのは、育った環境や個人の好みによって大きく変わるのだろう。ぼくにとっては半分しか入っていないように見えた湯呑も、別の誰かにとっては十分に満たされた器に見えるのだろう。そのギャップは、小さいけれど決して埋めることはできない。
 まだ、お茶は溢れ続けている。