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小説の読み方

by 唐草 [2019/05/23]



 初めて知ったときはとても驚いたのだが、どうやら人によって小説の読み方が違うらしい。その事に初めて気がついたのは、友人とミステリー小説に関して話をしていたときだ。前にも書いたことがあると思うが、友人は主役である探偵の活躍やカッコよさに惚れながら読んでいるそうだ。一方のぼくは、地の文が一人称であれ三人称で主人公の振る舞いは脇において、自分こそが事件を解く存在だと信じて読んでいる。友人は事件の起きた世界を楽しみ、ぼくは事件そのものを楽しんでいると言えるだろう。
 きっとこういう視点の置き方の違いが、物語に何を求めるのかの違いを生むのであろう。友人のような人は人物描写に注目している。一方のぼくはトリックや伏線にしか目を向けていない。どちらの方が良い楽しみ方という優劣は無いだろうが、お互いに相容れない価値観であると言うことはできる。
 昨日、イギリスの古典小説『秘密の花園』の読書会があるという話を聞いた。ぼくは参加したことはないが、最近本好きの方の間で読書会が流行っているらしい。参加者同士が、どんなところに着目したかなど感想を述べあい、様々な角度から本を読んでみようという趣旨の会だそうだ。『秘密の花園』の読書会なんてぼくは興味がない。だから参加する気もないし、そもそも『秘密の花園』だって読んだことはない。子供向けに簡略化されたあらすじをなんとなく知っている程度だ。でも、もしぼくが読書会に参加したらどんなことを語るだろうかと考えてしまった。
 ぼくは、小説を読む際に舞台がどこなのかを特定するのが趣味である。例えば「〇〇駅から15分ほど歩くと見晴らしの良い坂道にでる」というような具体的な記述があれば、地図を引っ張り出して場所を特定する。もっと曖昧な書き方でも、周辺情報を組み合わせて地域の特定を試みる。『秘密の花園』であれば、登場する植物の植生でイギリスのどの地方かを特定することができそうだ。
 古い小説を読むときは、小説が書かれた時代の服装を調べることもある。時代の風景を知っていないと、無意識のうちに現代を想像して頭が混乱してしまうからだ。
 ぼくは、まるで再現映画を撮影しようとしているかのようにディティールを埋めながら小説を読んでいくのが好きなのだ。国語のテストで問われる主人公の気持ちとかには、あまり興味がない。作中の登場人物の目を借りて、知らない場所へと旅に出ている感覚で小説を楽しむのだ。
 これを書いていて思い出したことがある。それは高校時代の現国の発表授業だ。ぼくは「作中に登場する巡査の給料は、その時代の平均給与と比較して高いかどうか」というテーマで発表をした。昔から全然変わっていないんだな。