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待っている

by 唐草 [2019/08/23]



 コンピュータの普及は、仕事のやり方とあり方を激変させたのだろう。ぼくはコンピュータ普及後の世代なので、コンピュータの無い仕事が想像できない。ペンと紙だけでどうにかしろと言われても、途方に暮れるだけである。すべての連絡を電話で行なえと言われたらウンザリしてしまう。ぼくが昭和30年ぐらいに生まれていたとしたら、電話もできないやくたたずの烙印を押されていたに違いない。コンピュータの普及した時代に生まれてよかったと心から思っている。
 今のぼくの仕事は、1から10までコンピュータとネットで成り立っている。ビジュアルデザインが重要な人々が目にするフロントエンドの仕事からサーバの保守管理や納入選定のバックエンドの仕事まで広く浅く色々なことに首を突っ込んでいる。数年前までなかった仕事だし、たぶん数年後にはなくなっている仕事でもあるだろう。時代が必要とするものごとの隙間を縫うようなものだ。
 ひとつのところにどっしりと腰を下ろしているわけではないが、それでも見えてくることがある。テクノロジーの進化が、ぼくたちを囲う環境だけでなく、ぼくたち自身をも変化させているということ。スマホひとつとってみても影響は計り知れない。スマホがなかった頃を思い出せないほどの利便性を享受して、その利便性を前提とした生活を送っている。結果として、世界はドンドン加速しているようである。
 テクノロジーがもたらした便利さと速度。コンピュータやスマホなどの新製品が出るたびに「これで十分かもしれない」と思うのだが、数年後に振り返ってみると「よくあんな性能が低いものを使っていたな」と思ってしまう。ぼくたちはすでに利便性という麻薬に侵されているので、加速していくこの世界の仕組みから抜け出すことはできない。
 最先端のコンピュータで遊んでいたいというモチベーションだけで今のポジションへとたどり着いたぼくは、性能もお値段も個人の範疇を超えた機器に囲まれている。機材が灯す青色LEDの光りに包まれながら、PCオタク冥利に尽きると感じている。こここそテクノロジーが世界を加速させていく現場なのだろう。
 ところが、昨日からぼくが行っているのは加速とは対極の行為である。ひたすらに待っているのである、肥大化したデータのコピーが完了するのを。ぼくが打ったわずか数十文字のコマンドは、数百GBのデータを左から右へと移動させる。すべての処理は自動だ。待っている必要はないのだけれども気になって仕方がない。SF映画のワンシーンに出てくるような高速で文字が流れる画面をボーッと眺めている。
 その間抜けで無為な姿は、加速していく世界についていけずに唖然としているようでもある。