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毎日サングラス

by 唐草 [2019/11/18]



 日本でサングラスというと、オシャレアイテムというイメージを抱く人が多いだろう。しかも、ちょっと悪いイメージがつきまとっている。顔の1/3ぐらいを覆う大きなレンズのサングラスを掛けているとセレブ気取りのように見られてしまう。黒の濃いシャープなサングラスをしているとカタギではない怖いイメージを抱かれてしまう。黄色や青のレンズの軽いサングラスをしているとチャラそうに思われてしまう。
 あえてステレオタイプを利用して、自分を演出している人もいるだろう。ナメられないように鋭い形のサングラスをかけてみたり、見栄を張って大きなサングラスを手に取ることで人のイメージは大きく変わる。ファッションは人の内面の代弁者であることはぼくも認めている。でも、すべての人が自己演出のためのファッションとしてサングラスを掛けているわけではことも忘れないでほしい。
 ぼくは、ここで時々サングラスの話題に触れている。それは、ぼくが大のサングラス愛好家だからだ。20年ぐらい前に買ってもらったレイバンのサングラスを後生大切に使い続けている。ぼくがサングラスを使うのは、夏の日差しの強い日だけではない。春も秋も冬も、ようするに一年中サングラスを掛けている。また、遊びに行くときだけにサングラスを使っているわけでもない。仕事に行くときにも、まるで普通の眼鏡のようにサングラスを掛けている。
 ぼくが一年中サングラスを利用しているのには、明確な理由がある。オシャレという側面が0だとは言わないが、一番の目的はサングラス本来の目的である遮光だ。昔から月が3つに見えるぐらい乱視がキツイので、直射日光が目に入るのが苦手だった。目の奥にグサグサと刺さるような痛みを覚えていた。言っておくが、オッサンになっても中二病をこじらせてヴァンパイアを気取っているわけではない。切実な、ときに安全に関わる重大な問題として遮光が欠かせないのである。
 だから、日の出ている時間に屋外を歩く際にはサングラスが欠かせない。自転車に乗る時は、ヘルメットと同じぐらい大切だ。また、日中に電車に乗っているときは、窓から差し込む日差しが床に反射しているのが辛い。だから、電車の中でもサングラスを掛けていることが多い。
 そんなぼくの隣の座席は、だいたい空いている。よっぽど混まないと空席のままだ。サングラスをしているからって、怖くないよ。ほら、おいで、ここ開いてるよ。黒いレンズの下でぼくの瞳は哀しみに潤んでいるのであった。