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不良品を売る

by 唐草 [2019/12/15]



 「この道30年ですが、満足のいく品を作れたことはありません。まだまだ修行の毎日です」
 こんな言葉を口にする職人をテレビなどで見たことはないだろうか?大抵の場合、こういう発言をする職人のことを精進を怠らない謙虚で意識の高い人物と評している。確かに、世間の評価におごらずに自己研鑽を続けようとする姿勢からは、修行僧に通じる真理に至ろうとする強い信念を感じることができる。
 だが、ぼくはこういうことを口にする職人が大嫌いだ。反吐が出るほど嫌いだ。こういうことを口にする連中に対してこう言いたくなる。
 「おまえは、自分でも満足できない不完全な品を客に売りつけて飯を食っているのか?」と。
 今の自分に満足することなく、常に成長し続けようとする姿勢は素晴らしいものだ。でも、だからと言って完成品に対して「満足できない」と言い切ってしまうのは、謙虚さとは違うように思えてならない。ぼくには、むしろ謙虚な姿勢を装った放漫さとして聞こえてしまう。
 なにより忘れてならないのは、「満足できない」と言い切った品を客に売って生計を立てていることである。機能的には問題ないかもしれないが、及第点を与えることのできない品を売っていることになる。職人からすると「良し」とできない何かを抱えているということなのだろう。それってキツイ言い方をすれば、自分では不良品だと思っているものを売っていることにならないだろうか?それとも、ぼくらのような右も左も分からない下賤のものは、ゴミのような品で十分だと見下されているのだろうか?
 こう考えてしまうぼくからすると、満足できる仕上がりにならなかった皿やツボを力任せに割って処分する陶芸家の方がずっと潔く見える。たとえ、それがただの癇癪だとしてもだ。
 ぼくが一番好きなタイプの職人は、こういうことを言うタイプだ。
 「今日の作品が人生で一番の仕上がり。でも、明日はもっといいものを作れる気がする」
 本質的には、自己研鑽大好きな意識高い職人と同じことを言っている。でも、ものごとの良い側面を捉えている。なにより、こう言って作品を手渡してくれた方がずっと嬉しい。職人は、芸術家でも宗教家でもない。物を作って売る商売人である。地に足をつけてお客さんのことを見つめることを忘れないでほしい。
 ぼくは職人ではないけれど、物を作る者としてこの姿勢を目指していきたい。