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もはや厚さの代名詞ではない

by 唐草 [2020/01/30]



 玄関先に薄べったいものが入った半透明なレジ袋が、行儀よく置かれていた。目を向けると広告とノートのようなものが入っているように見える。郵便物にしてはポストに入っていないのが妙だし、置配をするAmazonから届いた品にしては梱包が不用心すぎる。
 いったいこれは、なんなんだ?
 訝しがりながら袋の端をつまむように持ち上げてみると、そこにはタウンページと書かれていた。だがそれは、ぼくの知っているタウンページとは完全に別物だった。
 ぼくが知っているタウンページは、少年漫画雑誌のように分厚い紙の束だった。表紙もページも黄色で印刷は黒一色刷りで、危険を告げる看板のような力強い印象があった。しかし、目の前にあるレジ袋に入った薄い本は、大学ノートのように薄く貧弱な冊子だし、カラー印刷なのになんの印象も残さない地味な表紙だった。タウンページのタイトルが無ければ、およそ電話帳とは認識できない弱々しい姿だったのである。
 この貧弱なタウンページは、某コンビニのように持ち易さに配慮した結果だろうか?そうじゃないのは、誰の目にも明らかだ。紙の電話帳という存在が過去のものになりつつある揺るぎない証拠である。
 今、電話番号を知りたい機会なんてどれだけあるだろうか?仮にあったとしても、電話帳を探すより先にスマホでネット検索をしているに違いない。既に情報を求めることは過去の行為になりつつある。ネットの登場でコミュニケーション手段としての電話の価値が失われて久しい。過去のものになろうとしている電話の情報を時代遅れの紙媒体にまとめたものなんて、もはや古文書と同じである。
 タウンページが薄くなったということは、電話番号を掲載する企業の側も必要を感じなくなっているという紛れもない事実である。そして、掲載量が少ないので電話帳としての価値が減り人々に見向きされなくなる。だから企業は、さらに掲載を見送る。こうして電話帳スリム化のスパイラルが絶賛進行中なのだろう。
 あと何年でタウンページは0ページになるだろう。きっとそう遠くはないだろう。5年後ぐらいだろうか?10年後には絶対なくなっているだろう。
 さよなら、タウンページ。黄色かったことだけは、ずっと忘れないよ。