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曜日感覚の喪失

by 唐草 [2020/03/28]



 あれ?今日って何曜日だっけ?
 これが今朝目覚めたとき真っ先に頭に浮かんだことだ。曜日感覚の喪失を覚えるのは久しぶりである。懐かしくもあり、同時に足元をすくわれたような不安感もある。
 懐かしさの根源は、学生時代の長期休暇にある。年度をまたぐ長い春休みの感覚とも言える。ぼくの春休みは、大学生らしくバイトと友人との交流に明け暮れる青春っぽい活動からは縁遠かった。来る日も来る日もモニタの前に向かうオタクらしい日々の繰り返しだった。昼夜が逆転するような自堕落な生活の中で、ゲームとプログラムに明け暮れていた。その日が何曜日でも構わない日々だった。その結果、曜日感覚の喪失へと至った。懐かしく、そして楽しかった日々である。
 もう一方の足元をすくわれるような不安感は、フリーランスの頃の感覚である。開発に集中すると誰にも合わない日々が続く。自分のペースで作業をするので、曜日に関係なく休みたい日は休むし、働きた日は働いていた。重要なのは納期までの日数だけ。曜日なんてどうだって良かった。迫りくるデッドラインだけを考えて作業に邁進しているうちに曜日感覚は消えていった。だから曜日感覚を失うと、大事な期日が迫ってきているような錯覚に囚われてしまう。好き勝手できていたが、消耗していた日々でもある。
 久々に感じた曜日感覚の喪失の原因は、長期休暇の大学生のように遊び呆けたせいでもなければ、自分だけのカレンダーに従うフリーランサー的な仕事の進め方のせいでもない。すべてはコロナウイルスせいである。
 ほぼすべての仕事をリモートワークにしたので、先週は2日出社しただけ。ぼくの仕事は誰かの尻拭い的な意味合いが強いので、働く人がいなければ仕事は発生しない。だから、閑古鳥の鳴くレストランの店主のように時間が過ぎていくのをただ眺めているだけの日々が続いている。
 予定されていた会議や打ち合わせもすべてキャンセル。期日未定で延期だけが決まっていく。先のスケジュールも見通せないので、どの作業にも着手しにくい状態だ。
 さらに毎週楽しみに見ていたドラマも終わってしまったのでテレビを通じて自分の時計を合わせることもできなくなってしまった。
 頭の中のカレンダーを支えるのに必要な社会とのつながりが消えてしまった。それが曜日感覚の喪失をもたらしたのだろう。