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ロックダウン

by 唐草 [2020/03/30]



 日を追うごとに東京の都市封鎖が現実味を帯びてきているように思えてならない。そう考えているのは、なんでも悪い方に考えるぼくに限ったことではないようだ。ネットで都市封鎖の文字を目にする機会が増えているのが、その根拠である。もっともネットは、同意見の人が集まりやすいエコーチャンバーだ。ぼくのアクセスできる情報がぼくの主張と合致してしまうのは当然のこと。とは言え、エコーチャンバーのスケールが大きくなていることは間違いないだろう。
 都市封鎖に関する話題の規模は、先の見通せない明日への恐怖の大きさなのだろう。
 海外ではすでに都市封鎖が実行されている。先日、それを踏まえて都知事が東京都封鎖の可能性について言及をした。その際に横文字大好き都知事は、政策をカタカナで読むことが公約であるかのように「都市封鎖」を「ロックダウン」と呼んだ。「都市封鎖」と書いて「ロックダウン」と読む。一昔前のラノベのタイトルのようで厨二心を最高にくすぐる響きじゃないか。目の前に迫る危機を一瞬忘れて、ニヤリとしてしまった。
 なぜ都知事の口からは、日本語アクセントのカタカナ英語が飛び出すのだろうか?「オーバーシュートでロックダウン」発言を聞いて、ゲームFF13の意味不明さを凝縮した「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」という言葉を思い出した。それぐらい理解し難い発言だ。
 同様に「クラスター」のことを「集団」と言えという意見も根強い。これに関しては情報の分類などを専門的に扱っていると批判できなくなる。「クラスター」は単純な「集団」ではなく、小集団が群生している状態を指す。この微妙な違いが重要なので、クラスターだけは認めてしまう。
 「クラスター」と同じようにある分野では「都市閉鎖」と「ロックダウン」に区別すべき決定的な差異が存在するのだろうか?ぼくにはその違いがわからないし、その違いの説明を聞いたこともない。
 都知事は国際色を演出したいがために耳馴染みのないカタカナ英語を連発しているようにしか思えない。
 先週末の外出自粛要請の会見では、カタカナ英語の出番が減っていた。ヤバさが増すごとに情報の正確性が要求されうようになるだろう。危機的状況に覆い尽くされたらカタカナ英語でお茶を濁す余裕はなくなるだろう。都知事の口からカタカナ英語が出なくなったとき、それはジ・エンドである。