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残念だけどホッとした話

by 唐草 [2020/06/03]



 今回のコロナ禍は、現代社会の根幹を揺さぶり多く物の事を変容させている。百年後に歴史を振り返ったら、きっと今が大きな転換点として記録されているのだろう。身の回りでも多くのことが、目まぐるしいスピードで変化していっている。
 ぼくは今の変化を良い方向への変化だと捉えようとしている。長年理由もなく硬直し続けていたしきたりが破綻して、多くの人が受け入れられる新しい価値観が生まれてくることに期待を寄せているだの。このチャンスに自分にとって都合がいいように世界が変われと願っている。この願いは、直面している負の面ばかりを見つめすぎて心が沈まないようにするための自己防衛なのかもしれない。
 だが、いくら視野を狭めて明るい方ばかりを見ようとしても、否応なしに暗い話題の影が差し込んできてしまうのが今この瞬間の現状だ。
 今日、ひとつの大きなプロジェクトが反故になったという連絡が届いた。これは向こう3年ぐらいかけて取り組む計画だった大きなプロジェクトだった。去年から半年ぐらいかけて大量のプレゼン資料を作り、遠方まで出向いて打ち合わせを重ね契約にたどり着いたものだった。反故になって秘密保持契約も消えただろうから書いてしまうが、ある分野の世界シェアトップクラスの外資系企業との共同開発の契約だった。間に入ってくれた日本法人の尽力もあって、日本からは唯一の共同開発の選出となっていた。
 そんな努力もコロナ禍の前では無力である。
 契約先の会社が大打撃を受けているらしく、とても研究開発なんてしてられなくなってしまった。ぼくたちの考えていた先駆的なアイディアは花開く前に芽を摘まれてしまった。
 本来であれば、この状況を地団駄を踏んで悔しがるべきなのかも知れない。確かに喪失感はあるが、どこかホッとしている自分がいる。
 開発を請け負うぼくらの方も、コロナ禍の影響でとても新規の開発なんてしていられない状態に陥っていた。また、3月末にコロナとは関係のない大問題が発生していて、未だにそのダメージも癒えていなかった。2つの問題に挟まれた自分の状況を鑑みるとプロジェクトには赤信号が灯っているようにしか思えなかった。
 だからこそ、中止の知らせに安堵してしまったのだろう。悔しいが安堵。自分でもよく分からない感情である。