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四半世紀ぶり

by 唐草 [2020/06/07]



 近所の人から水菜をいただいた。土がついたままで採れたて新鮮な感じだ。なんでもこの水菜は、市で貸し出している市民農園で無農薬(低農薬?)栽培した自家製らしい。無事育ったはいいが、一気に食べごろを迎えてしまって困っていたらしい。家庭農園あるあるだ。家庭農園産だと思って見直すと、葉の先に虫食いの跡があるし、茎も葉も少し貧弱な気がする。店頭にはギリギリ並べられないかもしれない。でも、食べるぶんには問題なさそうだ。
 根についた土をきれいに洗い流して、食べるための下ごしらえをしていた。
 普段スーパーの野菜コーナーにお行儀よく並んでいる水菜は、根を切り落とされているので土粒ひとつ見当たらない。きれいに洗浄しているのか、それとも初めから土を使わない栽培なのかは分からない。野菜なのに、まるで工業製品のような冷たささえある。
 今回初めて水菜の根を目にすることとなった。根の形は想像とはだいぶ異なっていた。土から上の部分は細い茎がたくさん茂っているので、根も同じように細い根が四方八方にたくさん伸びていると考えていた。でも、実際は1本の太い根が伸びているだけだった。その姿は細いごぼうのようだ。
 水菜を洗っていたら葉の先に1cm角ぐらいの大きめな茶色い塊が付いていた。水道の水を強く当ててもびくともしない。なんだこれ?束の中から塊のついた葉を取り出した。
 塊は何か柔らかそうな物を広げて葉の裏にしっかりと張り付いている。よく見ると渦を巻いているようにも見える。一瞬得体の知れないものがついているのではないかとぎょっとしてしまった。触って平気なのか?それどころか、洗い落とせたとしても食べて平気なのか?と不安もこみ上げていた。一度疑い出すとどんどん怪しく見えてきてしまう。
 だが、ぼくの心配は杞憂でしかなかった。
 一呼吸おいて冷静さを取り戻してから見てみれば、目の前にあったのは虫の卵でもエイリアンでもなかった。小さなカタツムリだった。
 カタツムリ相手に冷静さを失っていたぼくが間抜けなのは間違いないが、1つだけ言い訳をさせてもらいたい。生きているカタツムリを見たのは、多分25年ぶりぐらいだ。とっさの判断でカタツムリが出てこないのも仕方ない。
 小さな生き物の出現に、身の回りの自然の消失に気が付かされた。