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人の過去を掘り起こすな

by 唐草 [2020/09/26]



 「メールっていつまで残るんだろう?」という話になった。
 プロバイダや携帯キャリアのメールは受信するとサーバのデータは消える。だから、受信したPCや携帯が壊れてしまうとメールを読めなくなってしまう。一方でGmailのようなWebメールは受信してもサーバに残り続ける。理屈上は無限に残り続けることになる。大雑把にまとめるとこんな感じになる。
 十年ぐらい前からユーザの死後、アカウントをどう扱うかがたびたび議論されている。規約では本人以外のアクセスを固く禁じていることが多い。だから、本人が亡くなるとデータへのアクセス手段が完全に絶たれてしまう。サーバの中にデータが残っていてもアクセスできないのなら存在しないのとほぼ同義である。考えようによっては、あっさり消えてしまうともとれる。
 故人のデータにアクセスできない状況に陥ることで、遺族以上に窮地に立たされる人間がいる可能性に気づいた。
 時々、ニュースで「旧家の蔵から文豪の手紙や日記が見つかった」という話題が流れることがある。ぼくには何の興味も湧かない話題だが、ニュース映像では目を輝かせ鼻息荒く発見の意義を語る大研究者が映される。ある分野の人にとって、故人の記録は何事にも代えがたい宝物なのだろうということが画面から伝わってくる。それが故人のプライベートに土足で踏み込みプライバシーの尊厳を踏みにじることだとしても。
 いつまでこういう手紙の発見は続くだろう。あと20年ぐらいは期待できるかもしれない。現代の作家で紙の手紙をしたためている人ってどれぐらいいるのだろう?きっとどんどん減っているに違いない。やり取りの多くがメールになっていだろうし、これからはSNSのDMに取って代わられていくだろう。このままでは研究者の飯の種が消えてしまう。
 個人の記録が、どんどん鍵のかかった場所に保管されるようになっていくい。50年後に「物置から見つかった古いスマホから大先生の若き日のやり取りが見つかった」なんてニュースが流れことはなさそう。
 この先、文学研究のやり方が大きく変わるかもしれない。誰かのプライベートが乱暴に晒されることがなくなるかと思うと、ぼくには関係ないことだがなんだかホッとしてしまう。