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本が重い

by 唐草 [2017/05/05]



 せっかくの連休だ。自分がしたいことを思いっきりするのが、正しい休日の使い方だろう。
 マスコミが取り上げるような商業主義的観点に基づく典型的な連休の過ごし方をする必要はどこにもない。彼らにニュース映像を提供するために交通渋滞の1コマになる必要だってない。連休にしか動けない人ならいざ知らず、週の半分は寝ているようなぼくが連休だからと言って急に一般市民を装うこと自体無意味なことだ。
 立派なご託を並べて自分の自堕落な休日の過ごし方を正当化する方法を無い頭を使って絞り出したりしてみた。これも、休日らしい無為な過ごし方である。
 結局のところ、ぼくがすることなんていつも一緒だ。目一杯ゲームで遊んで、積まれている本を1ページでも多く読むことにした。
 読書は秋だって?五月晴れの爽やかさ空の下で読む本だって素晴らしいんだ。
 ここのところ読書量が著しく落ちていたし、読んだとしても電子書籍か文庫本ばかりだった。だから久々に手にしたハードカバーの本は、250枚の紙の束以上に重く感じられた。
 堅い表紙の角が掌に食い込むかのような感覚さえあった。
 マンガでさえほとんど電子書籍で読んでいる最近のぼくには、ハードカバーの小説はもう重すぎるようだ。知らず知らずのうちに、ぼくの中の読書という行為が電子書籍を中心としたものに少しずつ書き換えられてしまっているようだ。
 ページをめくる楽しみは、身体的行為のともなう紙の本の方が勝っている。でも、それ以外のこと、例えばバックライトがあるとか、どんなに厚い本でも重さは変わらないとか、栞を挟む必要がないとか、そんな楽さがぼくの中に染み込んでしまっているようだ。
 もう紙には戻れないかもしれない。