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解釈とネタバレ

by 唐草 [2017/08/23]



※DQ11のネタバレです。それも、エンディングに関する重大なネタバレです。プレー中の方は、読まないように。
 
 タイムトラベルがテーマになっているドラクエ11。タイムトラベルの解釈に関してパラレルワールド派と世界線派が議論を戦わせている。ドラクエに関してここまで激しい議論を目の当たりにするのは、DQ5の花嫁論争以来かも知れない。
 真エンディングで、先代勇者パーティーの女賢者がタイムトラベルをする。勇者が非業の死を遂げない結末を求めてのタイムトラベルである。エンディングムービーの中では、先代勇者と女賢者の再会が描かれている。
 この描写に関して解釈が割れているのだ。考察派のオタク連中って本当に面倒なヤツらである。
 DQ11のラスボスの誕生は、先代勇者が非業の死を遂げたことに深い関わりがある。だから、女賢者がそれを阻止できればDQ11のラスボスは"どちら"も生まれないことになる。そうなれば、DQ11主人公一味が頑張って世界を平和にするという未来もなくなる。つまり、DQ11主人公一味の努力は必要なかった。とも解釈できる。これが、世界線派の主流の意見。
 パラレルワールド派は別の解釈をしている。女賢者が戻った先代勇者が非業の死を遂げない世界がいわゆるロトの勇者世界、DQ11の主人公たちが残った先代勇者が非業の死を遂げた世界が天空の勇者世界に繋がるという解釈が人気があるようだ。
 ぼくは、タイムトラベルによってパラレルワールド発生するという考えが好きではないので、どうもパラレル派の意見は支持しがたい。
 でも、だからと言って女賢者のタイムトラベルによってDQ11の物語がすべて消えてしまうという解釈も釈然としない。『シュタゲ0』的な"何かを無に帰すための結果"を作る物語というのは、なんだか寂しいし、プレーヤーの努力が報われない設定に思えてしまい魅力を感じられない。
 では、どんな解釈ならぼくは納得できるのか。オタクらしく考察を重ねてみた。
 その結論が、「女賢者は因果律の輪から抜け出せない」という考え方だ。
 因果律はSF用語的な解釈の方で捉えてもらいたいのだが、この場合は「なぜタイムトラベルをしたか?」ということだと考えてほしい。古典小説の『タイムマシン』でもそうだが、誰かの死を阻止するためにタイムトラベルをするのだが、その死を回避してしまうとタイムトラベルをするという結果が生じなくなってしまう。だから、どう転んでも死ぬという救われない話。
 DQ11も『タイムマシン』と同じだと考えるとぼくは納得できる。女賢者はタイムトラベルしたけれど、因果律関係で結局勇者は非業の死を遂げる。だから、どう転んでもDQ11の物語は発生する。だから、最後に女賢者は絶対に過去へと戻る。これで因果は整うはずだ。あえてドラクエ的な解釈を加えるなら、勇者とは因果律の輪を破れる存在というところか。
 なんだか、久々に中二病全開な文章を書いた気がする。楽しい。すごく楽しい。