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善意につけこむ恵方巻

by 唐草 [2019/02/04]



 昨日、ついに恵方巻を食べることになった。でも、ぼくの前には丸のままの切られていない太巻きが置かれていたわけではない。助六寿司に入っている太巻きのように切り分けられた恵方巻のバラバラ死体のような成れの果てが並んでいただけだ。それに恵方とされる方角も知らないまま、いつものように食卓に座って夕飯のおかずのひとつして並べられた太巻きを食べたに過ぎない。
 なぜ、こんなことになってしまったのか。太巻きはピンク色のデンプとか厚焼き玉子が入ったごく普通のものだった。味も食べ慣れたもので、これぞ基本を忠実に守った安心できる美味しさというものだった。でも、ぼくは恵方巻と称される太巻きが我が家の食卓に並ぶまでの一連の流れに腹を立てていた。
 食卓に並んだ恵方巻は、ぼくが買ったものではないし、特別な店で買ったものでもない。買い物に行った家族がパンや牛乳と言ったいつも買うものと一緒に買ってきたものだ。節分は子供が豆まきをするイベントだとぼくは思っているので、ゴリ押し気味に名ばかりが広まっている恵方巻イベントには否定的な立場を貫いている。一地方のイベントを全国に拡大しても文化的な意味が理解できない。バックボーンがなければ、ただの軽薄な文化行事もどきでしか無い。太巻きを買ってきた家族も同じ考えであり、これは我が家の見解である。
 この考えを守っているならば、騒がしくお金のことしか考えていないプロモーション活動に乗せられることはない。だから恵方巻と騒ぎ出して10年ぐらい経つが、昨年まで一度も縁はなかった。
 でも、どうして今年は買ってしまったのか?
 それには、腹立たしくも悲しい理由がある。
 ぼくの家族はこう語っていた。売り場いっぱいに並んだ恵方巻を見て「自分が買わなければ、売り場いっぱいに並ぶ恵方巻は破棄されてゴミになってしまう」と感じたそうだ。フードロスが大きな問題になっている昨今、目の前の恵方巻を無視することは食品廃棄を助長するとさえ感じたらしい。だから、地球環境のための小さな一歩として恵方巻を1本購入したということだった。
 よく耳にする売れ残りをコンビニでバイトに押し付けてしまうという話も「可愛そうなバイト君のために買ってやるか」というボランティア精神につけこんだ売り方と言えるかもしれない。
 もはや人の善意につけこんだ販売方法だ。他の季節の行事と比べても、明らかに歪んでいる。とてもじゃないけれど健全だとは言えない。節分の日に豆を投げつけるべき相手は、鬼じゃなくてコンビニとかスーパーの幹部連中なのかもしれない。豆がもったいないから、投げつけるのは石でいいや。