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焼け野原のような

by 唐草 [2019/10/16]



 東日本の広い範囲に大きな傷跡を残していった台風19号の通過から4日経った今日、ぼくはようやく生々しい爪痕を目の当たりすることとなった。
 今朝は、中央線の終点の方まで行く用事があった。ぼくは多摩地区の東の方からオレンジ色の帯の入った電車に乗る。だから、途中で多摩川を渡ることになる。
 普段の多摩川は穏やかな川である。水鳥が静かに魚を狙っている姿をよく見るし、釣り糸を垂れる人の姿もある。水のうねりを見つけられる場所は少なく、橋脚に当たる水もさざ波を立てるだけ。川底の石のせいか黒く見える水面は、よく見ないと水の流れを確認することすらできないぐらい静か。
 川幅の3倍ぐらいある広大な河川敷は、グラウンドが整備されて賑わっているところと、背の高い草と野放図に枝を張る木々が複雑に絡み合った手つかずの緑に覆われているところが不格好なパッチワークのように入り乱れている。初秋のこの季節であれば、まだどこも生命の息吹を感じる緑で覆われているのが常である。
 でも、平穏なのは良い天気が続いている間だけ。台風などの大雨がやってくると山からの水を受け止めた多摩川は一変する。前にも書いたことがあるが、茶色い泥流の渦となる。橋にぶつかる水は、ゴウゴウとうなりをあげる。
 大雨から4日経った今日、多摩川を流れる水の量はいつも通りに見えた。川幅もいつもと同じだし、鉄橋を通過する電車の中からでは水音も聞こえなかった。
 でも、ぼくの目の前に広がっていた光景は、慣れ親しんだ多摩川の姿とは全く違っていた。
 ぼくの目には焼け野原にしか見えなかったのだ。
 広大な土手と土手の間が、くすんだベージュ色に塗りつぶされているようだった。見渡す限り同じ色に包まれていた。下草はすべて冬の枯れ野原のように細く萎びていた。他の色は、わずかに背の高い木の上に残るだけ。予想もしていなかった光景に、自分の目がどうかしてしまったのではないかと心配になるほどだった。
 状況を理解するまで数秒を要した。その時には、電車は鉄橋の中央を超えていた。眼下に広がるのは、は枯れ野原でも焼け野原でもない。草も気もグラウンドも歩道も何もかもが、泥に覆われていたのだ。
 これまでに何度も台風が去った直後の多摩川を見てきた。でも、これほどまでに生命の気配がかき消された光景を目にしたことはない。

※写真は穏やかな日の多摩川。中央線の鉄橋よりはだいぶ川下。