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比喩の正しさ

by 唐草 [2020/10/28]



 ぼくは猫とともに人生を歩んできた。半年ほど猫が側にいなかった時期があるが、それ以外は常に傍らに猫がいる。それも複数。今だって膝の上に1匹いる。
 これまで10匹を超える猫とともに生活をしてきたし、看取った猫も5匹を超えている。今は人生で一番の多頭飼い状態。狭い家なのでどこに目を向けても猫が目に入る。そんな日常はパラダイスのようでもあり、悪夢のようでもある。
 ここまで猫が増えてしまった理由は、自分でもよく分からない。世の中の多くの人が厳しい里親認定を勝ち取った末に猫を迎えていると聞く。我が家にも里親制度でやってきた猫もいるが、里親縁組をやっている人の手に余るような猫を引き取る形で我が家にやってきている。シェルターの最終避難場所扱いされているのかもしれない。
 その他にも玄関を開けたらボロボロの猫が転がっていたとか、「また黒猫を飼いたいね」と言って外に出たら黒猫がいたとかそんな流れで猫が増えている。ぼくが見ていないところで玄関から猫が生えていると言われたほうが納得できる。
 たくさんの猫を飼ってきたが、どの猫も大きくなってから出会っている。だから、ぼくは子猫を手に取ったことも無ければ、見たことすら無い。若くても生後半年ぐらいだろうと思われる(裏庭に突如現れたので詳細は不明)。
 多くの猫を間近で見てきたが、猫という生き物はとても我が強く個性的。体型や柄がそっくりな猫はいくらでもいるけれど、性格まで同じなんてことはありえない。双子の兄弟だって性格はまったく違うことも多い。
 猫は実に個性的な生き物ではあるが、ひとつだけ共通してることがある。
 洋の東西を問わず「メス猫」という言葉は、狡賢かったり嫉妬深かったりする女性像の比喩に用いられる。人の嫌な部分を凝縮したかのような女性像である。
 オス猫もメス猫も見てきたが、この比喩に関しては全面的に正しさを認めるしかない。オス猫は男子中学生のようにアホで、遊ぶことに忙しくて嫉妬してる暇なんてない。それに比べてメス猫は面倒臭いの一言に尽きる。本当に面倒だ。
 もちろん例外もいるだろうが、平均を取れば比喩の正しさが証明されること間違いなし。