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好みの源泉

by 唐草 [2021/03/16]



 ぼくはレトロフューチャーが大好きなんだと思う。自分のことなのに「思う」と弱気なのは自覚がないから。最近遊んだゲームを見返してみると『Fallout』、『The Outer World』、『BIOSHOCK』と1950年代アメリカの雰囲気にSF要素が盛り込まれたものばかり並んでいるので間違いはないはずだ、たぶん。
 レトロフューチャーの定義は曖昧だが、1950年代ぐらいに想像していた21世紀の姿だと考えれば概ね正解。自動車は当時のアメ車のようにデップリと大きい。鉄道はチューブの中を走しる。エネルギーはなんでも原子力。ロボットだって一家に一台だ。月旅行だって夢じゃない。そんな世界は、何もかもが金属とガラスでできていそうなふくよかな形、言い換えれば重鈍な形をしている。
 ぼくは、このような未来像をリアルタイムで体験したことはないし、そんな未来の到来を信じている人すら見たことがない。ぼくがレトロフューチャーな未来像を知ったのは、実現できない想像上の未来だという悲しい現実が明らかになってから。それなのにどうしてレトロフューチャー好きになったんだろう?きっとぼくが歩んできた人生のどこかにレトロフューチャーへと目を向けるきっかけがあったはず。
 ぼくにとって1950年代のアメリカとは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中だけに存在する世界だ。現実の古い映像を見ても「BTTFみたい!」と思ってしまう。人生で一番見た大好きな映画なので、そこで描かれる1955年に憧れを抱いても不思議はない。それに1950年代はアメリカが圧倒的に輝いていた時代だ。
 ただ、BTTFの影響だけなら1950年代のレトロな雰囲気だけに憧れるはず。どうして、そこにフューチャーが紛れ込んでしまったのか?
 BTTF2では未来(今となっては過去の2015年)が描かれる。でも、その未来は原色ギラギラでプラスチッキーなサイバー系の未来だった。レトロフューチャーではなく、80年代に想像されていた未来像だ。これには憧れはない。
 一体、何がぼくをレトロフューチャーの世界へと導いたのだろう?不気味なほど心当たりがない。