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気づけば鉛筆

by 唐草 [2021/05/24]



 家にあるすべてのボールペンを使い切ってやると長年息巻いていたが、本当にボールペンがなくなる日が来るなんて想像もしていなかった。すべてのボールペンを使い切った末に、筆記用具が無いという単純な問題が起こることすら考えていなかった。
 買ったものから貰ったものまで我が家にはたくさんのボールペンが転がっていた。その量は、ペン立て代わりの空き缶を隙間なく埋めるほど。ぼくを奮い立たせるに十分な量であったのと同時に、ペン立てが空になった姿を思い浮かべられないほど量でもあった。
 ボールペンとの戦いは何年にも及んだが、多くは不完全に終わった。初めから粗悪だったのか、放置しすぎてインクの消費期限が切れたのかは分からないが、安ボールペンのほとんどが使い切る前に書けなくなってしまった。いざインクが出なくなるとペンを消費しようとしているはずなのに振ったり温めたりして再生を試みていた。まるで敵に塩を送ってでもフェアプレイに徹しようとしているかのようだった。
 結局のところ束になったボールペン軍団は、最後の最後まで歯切れが悪いままだった。最後の1本を使い切ったという感慨はまるでなく、ただペン立てが空になっただけだった。
 書くものがないという不都合に直面してようやく目標の達成を理解した。そのとき心に浮かんだのはこんな不便な結果になるんだったら使い切りチャレンジに躍起になるんではなかったという身も蓋もない思いだけ。
 これから何を使ってメモを書こう。20年来ぼくの部屋の片隅にあった邪魔に思えたが実は大切だった存在を失って、そんな当たり前のことを考えてしまった。
 それから1年近くが経過した。
 今、ぼくが握っているのは鉛筆だ。良いボールペンを買おうかと思ったけれど、家を引っ掻き回したら10本以上の使いかけ鉛筆が見つかった。今のぼくにとって鉛筆は、ある意味邪魔な存在だ。でも捨てるのは惜しい。どうせなら使い切りたい。そう思って小学生以来の鉛筆生活を送っている。
 なんだかまた同じことを始めてしまった。