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防弾チョッキの映画

by 唐草 [2021/07/03]



 タイムトラベルものの物語のお約束に「因果律」と呼ばれるものがある。これは、友人の死を回避するためにタイムトラベルをしても最終的には別の要因で死んでしまうという設定のこと。もし死の回避に成功したら未来の主人公はタイムトラベルをしなくなり、そうなると過去に自分が存在していることがパラドックスになる。この矛盾の辻褄を合わせるために用いられるのが因果律。
 タイムトラベルをしたという結果がある以上、何をどうやっても原因を回避することはできないという考え方だ。因果律という言葉は本来哲学用語だった。古典SFの時代から脈々と受け継がれてきた考え方なので、今ではすっかりSF用語の1つとして受け入れられている。こういうSFの土台となる考え方が浸透しているせいかは不明だが、タイムトラベルもののテーマとして「因果律からの脱却」を掲げるものも少なくない。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、タイムトラベル映画の金字塔だ。因果が崩れ始めると主人公が半透明になっていくという映像ならではの表現が秀逸で印象深い。しかし、エンタメ寄りではなくSF的な見方をするとガバガバな設定とも言える。映画内の設定は、本格SFファンには耐え難いものかもしれない。でも、よく考えてみるとタイムトラベルのきっかけとなる因果の消滅は起こっていない。しっかり因果律を守っている。
 映画ではドクが撃たれたことがタイムトラベルのきっかけ。過去で託した手紙でこの死は回避されるが、もし撃たれても倒れることなく「防弾チョッキを着てるから平気だ!」とか言っていたら矛盾が発生してしまう。撃たれた直後の死んだふりが、すべてを解決してくれている。
 このことを踏まえてPart 3を見ると決闘シーンで防弾チョッキ代わりに胸に仕込んだストーブの蓋の見え方がだいぶ変わってくる。第1作で1985年のドクの命を守りながら同時に因果律も守った防弾チョッキという発想が、1885年のマーティーの命と因果律を守るのだ。
 乱暴な言い方をすると『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、デロリアンではなく防弾チョッキが真の立役者なのだ。