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国語辞典を手に取る

by 唐草 [2021/10/03]



 最近、国語辞典を開く機会が増えている。開くと言っても利用するのはオンラインの無料国語辞典なので、実際に分厚い辞典を手にとって開いているわけではない。ちょっとカッコつけて紐解くと書きたいところだが、紐解くはオンラインの辞書に対して使っても良いのだろうか?
 よく分からないので、辞典で確認しよう。デジタル大辞泉によると「1.書物を開く。本を読む。2.書物などを調べて真実を明らかにする」とある。2の「書物など」がカバーする範囲が不明瞭だが、ネット検索を紐解くと称するのはまだ時期尚早に思える。
 国語辞典を利用するのは、この日記を更新する時がほとんど。ここ以外で文章を書く機会といえば、あとは仕事だけ。ぼくが書く仕事関連の文章は、横文字をカタカナに置き換えただけのコンピュータ用語をビジネス文法でつないだものばかり。機械的に定型文を書いているようなものだから、慣用句や古風な言い回しが出てくることはない。だから、ビジネスシーンで国語辞典を頼ることは無い。
 ここの文章だって文学賞を狙うつもりで書いているわけではない。ぼくの普段の喋りを文章にしているだけ。けれども、国語辞典に頼る機会が増えている。自分の言葉なのになぜ辞典が必要なのか?
 簡単に言えば、自分が無知無教養だから。
 変換しようとしても漢字が出てこなかったり、想像と異なる漢字が出たりするのを何度も目にしてきた。これは、なんとなくの雰囲気と音だけで覚えている言葉が多くあるという証拠。「雰囲気」を「ふいんき」で覚えているような話だ。
 ソフトの変換結果が常に正しいわけではないかもしれないが、それを疑う前に自分の勘違いを疑うほうが先だ。以来、予想通りに変換されないとすぐに国語辞典を引くようになった。気がつけば辞典を引くことが自然になり、普段あまり使わない言葉を打つ前には意味を確認する癖がついた。
 その結果、自分が思っていた以上に意味を取り違えて覚えている言葉が多くあることに気が付かされた。
 きっと今日のわずか900字の中にもいくつかの間違いがあるに違いない。