カレンダー

2021/05
      
     

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

アイディアの青写真

by 唐草 [2021/10/15]



 仕事や趣味を通して、これでもかと言うほどにコンピュータを使ってきた。有用な知識や技術だけでなく、付け焼き刃の応急処置や汎用性のない裏技といったあまり役に立たないものまで身につけた。その結果、コンピュータで何かをしようと企んだときの判断が、「できる」と「できない」の2つではなくなった。
 ぼくが思いつくようなことなんて、既に他の誰かが考えている。凡人の想像力では不可能にはたどり着けない。「できる」と「できない」の尺度で世の中を見れば、99%「できる」という結論に至る。だから、ぼくが考えるのは実現性の有無ではなく、今の知識と経験でできるか否かである。
 この基準で考えると頻繁に「今の自分にはできないこと」に直面する。知識や経験の乏しかった頃は、この段階で壁の分厚さを感じて立ち止まっていた。幸いにして今のぼくは、簡単には立ち止まらない。これまでに培ってきた玉石混交な知識を総動員すれば、分厚い壁を乗り越えたり、ぶち破ったりするために何が必要かを考えられる。巨大な相手を一度に相手にするのではなく、分解して少しずつ攻略するのだ。
 このアプローチで様々な難題に挑んできた。その過程で「知識は単体ではほとんど役に立たない」という現実をまざまざと見せつけられた。だが、同時に知識や経験をうまく組み合わせれば、泥臭い方法でも突破口を見つけられることも知った。これが、年の功というヤツなのだろう。
 今のぼくの頭には、まだ実現していないやりたいことがある。それは、新しいゲームを作るという趣味的なこともあれば、複雑化した職場のシステムに新たな風を吹き込み再生させる実務的なこともある。どれも、とても複雑なプロジェクトになることは間違いない。でも、不可能ではないことも分かっている。
 ところが、現実には何も進んでいない。
 問題解決までの道筋は、ほとんど描けている。だが、自分で描いた計画の青写真が分厚く複雑すぎるのだ。2m先で10本並べた縫い針に一気に糸を通そうとするようなプランばかりで、考えていると頭が溶けそうになる。なまじ明確に手順を想像できるからこそ、手を付けたくないというジレンマ。