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青い鳥が好き

by 唐草 [2022/03/04]



 巷には、数え切れないほど多くのフィクションが存在している。笑えるもの、泣けるもの、考えさせられるものといろいろある。今日も多くの本が出版され、いくつもの映像が公開され、数知れぬ舞台が幕を開けていることだろう。
 その中には未来の1ページを彩ることになる不世出の名作も含まれているかもしれない。しかし、現実は厳しい。多くの作品が流行り物の焼き増しとでも言うようなものばかり。リスクを負って未来に残るかもしれない新しい表現に賭けるよりも、流行りに乗って今売れるものを乱造した方が食い扶持を稼ぐための創作としては安全なのだろう。
 今、無料で読めるマンガを眺めると男性向けも女性向けも転生系ばかり。このブームはかれこれ10年ぐらい続いているが、残念ながら100年先まで残りそうな名作は生まれていないような気がする。
 では、昔はオリジナリティーに溢れた作品ばかり作られていたのだろうか?歴史の荒波を超え現代まで受け継がれた作品だけに触れていると誤解しそうになるが、昔だって流行りに乗って乱造された作品が山のようにあっただろう。それらの作品の多くは失われてしまったので、歴史の表面だけをなぞると昔の芸術は先鋭的だったように感じてしまう。
 ということは、100年後ぐらいに現在を振り返れば生き残った名作たちによって「2020年代は素晴らしい時代だった」と評価されても不思議はない。もし、そういう高い評価にならないのであれば、芸術表現の基本の型は既に完成しきっていると考えることもできる。
 今でもイソップ童話が子供へ語られ、演劇の最高峰の1つとしてシェイクスピアが評価されていることを考えると、人が喜び、同時に考えさせられる物語の基本は既に完成してしまっているようにも思える。だとすれば、今の創作は既に完成した物語の骨格に今という時代の空気をまとわせているだけなのかもしれない。
 ぼくの好きな物語の骨格は青い鳥のような、スタート地点とゴールが同じ場所という構成。
 追い求めていたものは初めから持っていたとか、黒幕は身近だったというような感じ。物語を通した主人公成長で見えるものが変わるというのが好き。この構造に新しさはない。