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論客の末路

by 唐草 [2022/03/10]



 世の中には様々な考え方があり、お互いにそれを尊重するべきである。多様性と相互理解。これが2022年現在の理想的な考え方だというのに異論はないだろう。
 口で言うのは易しいけれど実践は難しい。だからこそ本腰を入れてチャレンジするべきなのだ。と思っているものの、目にしたことのない人を想うのは難しいし、個人的な好き嫌いやこれまでの経験のせいで受け入れられないどころか否定したくなる考えもある。
 自己の考えを消してでも受け入れがたいものを迎え入れるのか?それとも「嫌いだと考える人もいる」と別の考え方を表明するべきか?世間では前者を尊んでいるが、これを豊かな多様性と呼べるのかは疑問が残る。
 メディアを通じて様々な考え方が聞こえてくる。新しい考え方もあるんだなと感心する先進的なものもあれば、逆に時代遅れの凝り固まった考えを振り回している人に驚くこともある。そんな古い考えを主張している人の顔を見てみると、四半世紀前ぐらいに気鋭の論客として世間を牽引していたような人もいる。功績は著書からうかがい知れるし、その評価があるので今もメディアに顔を出しているのだろう。
 それにしてもなぜ彼らは、少し前まで時代の先端を切り開いていたのに、今は古いものを守ることに固執してしまっているのだろう?
 変わったのは時代なのか?それとも彼らなのか?
 多くの著作に目を通したわけでも、網羅的に変化を調べたわけではないので、正確なことは分からない。
 Wikipediaを参考に感想文を書くぐらいのいい加減さで調べて感じたのは、時代と個人の歯車が噛み合わなくなったということ。
 絶えず変化する時代の価値観と個人の思想が、偶然にも合致した瞬間があっただけということなのかもしれない。それは複雑な線を描く2つの関数が、たまたま交差したようなもの。残念なことに思想を示した個人は、それ以降も自分の考えが世界の中心と信じて譲らなくなるようだ。
 歴史と思想は、この繰り返しなのだろう。今、時代の寵児と称されている人も5年後には老害と蔑まれているかもしれない。
 一度も時代の歯車と噛み合ってないぼくが、偉そうなことを言う。