カレンダー

2022/03
  
  
       

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

卵は健康の証

by 唐草 [2022/03/22]



 指を切ってからの3週間、患部を直視しないように絆創膏を貼っていた。今思えば、貼り替えていたとは言え貼り過ぎだった。傷口が塞がった後は、絆創膏を剥がして患部を空気に触れさせるべきだったと反省している。
 絆創膏を貼り続けたのは、微量の出血が止まらないように見えたから。恐る恐る患部を観察して分かったのは、手汗で溶けた「かさぶたの成れの果て」が血に見えていたこと。傷はふさがりきってはいなかったけれど、血は完全に止まっていた。科学と公衆衛生の進歩が実現させた湿潤療法に任せて現実から目を逸らさずに、人間本来の治癒能力をもう少し信じて傷を直視するべきだった。
 これだけ長く絆創膏を貼り続けたのは初めてだったが、今では貼ってないほうが不自然に感じられる。人が何かに慣れる速さは驚異的だ。
 貼っていないことに違和感を覚えるとは言え、貼っている影響は大きかった。濡らさないように、剥がれないようにと様々なことに気を使っていた。手を洗うときに「いいね」のように親指を立てて水に触れる癖が抜けない。
 「健康のありがたさは失って初めて気づく」と言う。怪我も同じ。当たり前だと思っている何気ないことができなくなって初めて自分の体のありがたみを理解する。逆に考えると、世の中には多くの人にとって当たり前過ぎて考慮すらされていないバリアが無数に存在しているということ。
 回して開ける蓋が使いにくいとか、ゲームをしてると絆創膏が剥がれるとかいろいろな問題に直面してきた。なかでも卵を割れなくなったことは予想外の問題だった。
 親指が使えないと卵を割るのが恐ろしく難しくなる。難しいと言うより、不可能に近い。
 親指を使わず人差し指で殻を割ろうとしても均一に力が入らず、変なところから割れてしまう。そして殻の欠片が卵に混入するは、意図せぬ割れ目で黄身も千切れるはの大惨事。絆創膏を貼っている間に数度目玉焼きにチャレンジしたが、できたのは目玉焼きからは遠く離れた別のもの。フライパンの上には白と黄色の2色が入り混じった食欲が失せるような汚いものができていた。
 美味しくキレイな目玉焼き。それは健康の証。