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人型の意味

by 唐草 [2022/10/10]



 ここ数年、テクノロジーの進化の話はAIばかりだった。業務を効率化したり、ゲームで人間に勝ったりとさまざまな業績を挙げてきた。最近では絵を描くようになっている。
 人間を超える凄まじい成果を残しているが、AIはソフトウェアなので実体がない。この瞬間も新しいAIが登場して人類史上最高の発展を続けているのだろうけれど、まったく実感がない。未来を実感するには、モニターの向こうに見えるだけではなく手で触れられる成果がほしい。
 手に触れられるという点を重視すると、期待の星はロボットの進化だ。映画や小説、ゲームなどで描かれてきたように2足歩行ロボが街を行き交う世界になれば、誰もがテクノロジーの進化を実感できるだろう。
 現在でも2足歩行の人型ロボを開発している企業や研究機関はたくさんある。以前は職人技の機械制御でロボットを動かしていたようだが、今ではAIを利用した研究が中心のようだ。機械の脳が機械の体を動かす時代の到来だ。
 2足歩行の人型ロボを研究する意義はどこにあるのだろう?技術や知識の蓄積という意味はあるが、転びやすい2足歩行に実用面での利点はほとんど無い。
 以前、等身大人型ロボの利点は2つあると聞いたことがある。
 1つは人間と同じ形なので操縦しやすい点。しかし、今のロボットはAIによる自律型なのでこの利点はすでに失われている。もう1つの利点は、人間と機械を簡単に入れ替えられること。
 車の運転ができるロボットができれば、今の車をそのまま自動運転にできる。あらゆる人の仕事を1種類のロボットでカバーできる可能性がある。誰かが怪我や病気で休んでも、その穴を埋められる。逆にロボットが壊れたら代わりに人が作業を継続することもできる。
 人型で等身大ということは、人間とロボットに高い互換性があり互いを支え合うサステイナブルな関係を築けると説明されていた。
 綺麗事すぎる感じもするが、そういう考え方もあるのか。と感心したのを覚えている。
 今開発されているロボットは、いざという時に人間に任せられるように人型なのだろうか?それとも酷使して壊れた人の後釜を狙うための人型なのだろうか?