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公園で怖い事

by 唐草 [2022/12/26]



 週イチで散歩がてら近所の大きな公園へ寄っている。毎週訪れるからわかる季節の変化がある。毎日見ていても植物の変化は分かりにくい。数ヶ月おきの観察では劇的に変わりすぎていて過程を理解できない。週イチだとちょうどいい。コマ撮りのように変化を目の当たりにできる。
 先日までは落葉の様子を楽しんでいた。同じイチョウでも場所によって状況がぜんぜん違う。早々に葉を落とし丸裸になっているものもあれば、公園最後の落葉になるのではと粘っているものもあった。
 今週イチョウはすっかり葉を落としたが、サクラを見るとすでに春への備えが始まっているのが分かる。花芽が膨らみだしていた。
 ぼくと同じように何の変哲もない樹々を観察していそうな人は結構いる。きっと同じように小さな自然の変化を楽しんでいるのだろう。ぼくは勝手に同志だと信じている。
 公園にあるすべての樹々や草花を愛で、そして静かな来園者にシンパシーを覚えているぼくだが、ひとつだけ恐れている存在がある。
 それが、ボール遊びをする人々だ。
 声がうるさいとか、ボールが危険だとか言うつもりはない。元気にキャッチボールやミニサッカーに興じることに文句をつけるつもりはない。あくまでぼくがただ一方的に恐れているのだ。
 もし彼らが取りそこねたボールが、足元に転がってきたらと思うと不安で仕方がないのだ。
 おそらく彼らは気さくに「取ってください」とか声を掛けてくるだろう。ぼくだってその声に応えたい。だが、それは無理な相談だ。
 ぼくは肩が弱くてボールを投げるのがとてつもなく下手。ノーコンとかそういう次元ではなくて、物体を前方へ投擲できないレベル。きっと野球ボールのように投げやすいものでも5mも投げられない。体育の授業は癒えぬトラウマだ。
 ぼくは投げられない自分を恥じている。きっと投擲のできないぼくの姿を見たらボールを投げ返すことをお願いした向こうもいたたまれない気分になる。醜態を晒して健康な人々の楽しい時間に水を差したくない。
 だから、ぼくはボール遊びに興じる人を見るとパスボールを投げ返すように頼まれないぐらいの距離を保つ。ボールが怖いから。