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カリスマ名無しに賛辞を

by 唐草 [2023/01/29]



 スーパーやコンビニの食品コーナーやお菓子売り場を眺めていると「カリスマシェフ監修」とか「有名店コラボ」と書かれた商品が並んでいることがある。シェフや料理研究家の名前に見覚えがあることもあれば、全然知らない名前が書かれていることもある。
 面白いことにパッケージにあるのが知らない名前であっても「なんだか特別な品」という印象を受けてしまう。多くの人がぼくと同じような特別感を感じているのだろう。だから、これらのコラボ商品は次から次へと発売されていく。
 大繁盛の店を切り盛りするシェフやパティシエには、その人独自のノウハウが有るのだろう。同じように話題になっている料理研究家のレシピには、時代に合わせた様々な創意工夫があるのだろう。
 自分のレシピで一時代を築き上げたこれらの人々の努力には敬意を払いたい。たとえぼくが絶対に行かないであろう店や食べない料理であっても、その敬意になんら変わりはない。
 さて、有名料理家の名前を冠した流行りのレシピはいつまで残るのだろう?普段食べている料理に考案者の名前を冠したものはどれだけあるだろうか?
 残念なことに殆どない。ネットで有名(?)な料理漫画に「人々は情報を食べている」といった台詞がある。ぼくらがコラボ商品に特別感を覚える理由はこの台詞に凝縮されている。
 一過性のカリスマ考案のレシピとは異なり、何十年にも渡って世界中で親しまれている料理やお菓子はたくさんある。例えば「プリン」。甘い蒸し卵にビターなカラメルソースをかけるなんて言う発想は、まさに天才だ。プリンの考案者は調べれば分かるだろうが、多くの人は考案者の名前も知らないし、知ろうともしない。目の前のプリンに夢中になるだけ。
 それはプリンが究極のレシピの1つだからだろう。誰がいつどこで考案したかなんて情報がなくても十分においしい。情報を味付けに使う必要がないほど完成している証なのではないか?
 そう考えると考案者が分からないアノニマスな料理ほど完成度が高いといえるのかもしれない。かつて居た名無しのカリスマたちに最大限の賛辞を送りたい。