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バウハウスの亡霊

by 唐草 [2024/01/29]



 どんなに雑にデザイン史を学でもバウハウス(Bauhus)から逃れられはしない。学生時代のぼくのように「自分に才能があれば過去の創作物なんて知らなくても平気だよね?」と若気の至りで痛いことを口走っていても、バウハウスから逃れることはできなかった。
 自分の能力を知って謙虚になった今では、近現代の工業デザインにおいてバウハウスがもたらした潮流の大きさを理解し認めている。デザイン史におけるエポックを1つだけ挙げるとしたら、1920年代のドイツ以外に候補はないと思っている。
 バウハウスが15年にも満たない時間で築き上げた思想と潮流に間接的にでも触れなかったデザイナーなど一人もいないだろう。名もなき大量生産の椅子に座った瞬間からバウハウスの影響下にあると言えるからだ。
 影響力の大きさは100%認めるけれど、バウハウスのプロダクトが好きかどうかは別だ。デザイン史の教科書をめくってバウハウスの作品を見ても、ぼくの心はときめかない。ハッキリ言えば好きじゃない。
 アール・デコ様式の古い家具にしか見えないというのもあるが、それ以上に堅苦しいものに見えてしまう。おそらく作品に込められた意識の高さみたいなものが重苦しく感じてしまう。「自分たちはデザインで世界で革命をやってのける」という上から目線の隙の無さという感じ。なんだか肩がこる。
 ぼくはデザイン史に精通してはいない。教科書のバウハウスのページに載っているのを見て初めて出処を理解する程度の知識しかない。なのでデザイン革命云々はぼくが付加情報から思い描いた感想でしか無い。
 とは言え、ぼくの好きな戦後のイタリアデザインにそんな堅苦しさを感じたことはない。おそらくバウハウスにしかない意識の高さが作品に亡霊のようにまとわりついているのは間違いないと思う。
 バウハウスの思想と理想に異論を挟むつもりはない。彼らの考えは正しい。でも、それが前面に出すぎるのは好みではない。ぼくは「隣人が使っているよりカッコいいものを作ってやったぜ」ぐらいの軽薄な部分を感じられる隙が好き。これがドイツ人にはなくて、イタリア人にあるものなのだろう。