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小さくなるSF

by 唐草 [2022/11/06]



 科学の発展が日常へもたらした恩恵は、想像を超える大きさと速度だった。50年ぐらい前のSFで未来の科学として描かれたものを遥かに超えている分野も少なくない。
 イギリスのSF作家アーサー・C・クラークが「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と述べたのは有名な話だ。50年前の人が、スマホが普及した世界を目の当たりにしたり、コロナウイルスワクチンのmRNAの仕組みを聞いたら魔法に感じるだろう。なにせ、スマホ片手に現代を生きていてワクチンを複数回打たれたぼくだって仕組みを十分に理解できていないのだから。
 ミクロの世界では想像を超える成果が達成された。一方、マクロな世界はどうだろう?
 宇宙旅行はギリギリ現実味を帯びてきたけれど地球周回軌道が限界。木星どころか火星にすらたどり着けていない。月の大地を踏みしめた人の人数だってちょうど50年前の1972年から増えていない。宇宙人が地球にやってきている様子もない。タイムトラベルだって無理だし、コロナを予言した人が皆無だったことで自称未来人たちもタダの嘘つきだとバレてしまった。
 科学の発展が「できること」と「できないこと」の境界を明らかにした。「できること」でも、それを実現するにはどれぐらいのエネルギーが必要なのかを計算できるようになった。このことがぼくらの空想に死刑判決を叩きつけてしまった感がある。
 この発展で一番割りを食ったのは、本格SFではないだろうか?近年、宇宙や時間をテーマにしたスケールの大きいSF作品に勢いがないように思える。クリストファー・ノーランぐらいしかそんな映画を撮っていないという感じすらある。
 科学をベースに想像力を膨らますことこそSFの醍醐味。ところが、そのベースが一般人の理解も想像も超えた領域にたどり着いてしまったということなのだろうか?
 現代科学を参考にしてネットワークやAIをテーマにした優れた作品もある。けれど、やっぱりSFなら宇宙の果てを目指したり、時間の流れに逆らったり、死人を生き返らせたりと神の領域に肉薄するようなことを描いてほしい。