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円盤を捨てる

by 唐草 [2022/04/10]



 押入れの整理をした。これまでに何度も整理してきたが、押入れは一向に片付かない。不要な物を捨てたのに空きが生まれないという不可思議な現象が起きている。「自然に物が湧く」とか「実は4次元ポケットだ」と説明されたほうが納得できる様相を呈している。
 押し入れの1/3はオフシーズンの服。これは半年に1回入れ替えるし、収まっているものも把握できている。必要なものが、適切な場所に、きちんと収納されている。
 厄介なのが残りの2/3を占める道具と思い出の品。言い換えると、いつ使うか分からないが捨てると不便するものと、絶対に使わないが捨てる踏ん切りがつかないものだ。客観的に考えればほぼゴミで、捨てても支障はない。でも、可能性と思い出に支配されて手が止まる。合理主義のぼくと言えども、0と1だけで判断するロボットではない。
 ぼくが物にしがみついているのか、はたまた物がぼくに取り付いているのかは判然としない。言えるのは、思い出というあやふやなものが呪いのように押入れを支配していることだけ。
 ここを片付けるのは、自分の心にメスをいれるようなもの。不用意に手を入れると、思いもよらぬことや取り返しのつかないことになるかもしれない。
 とは言え、押入れが混沌の極みにあることは紛れもない事実。雑然と物が重なる様は、鏡で自分の姿を見せられているようで落ち着かない。ちょっとでいいからこの惨状を取り繕いたい。
 そう思って、手に取ったのは古いCDラック。そこには音楽CDではなくゲームと自分で焼いたDVDが収まっていた。もう遊ばないとはいえPS1のゲームやバックアップは大切な思い出。簡単には捨てられない。
 DVDをよく見たらFedora 3やUbuntu 7などの古いLinuxのインストールディスクが大量に混じっていた。「当時はUSBメモリから起動できなかったんだなぁ」と懐かしむ。危ない、危ない。思い出の罠に陥り、いらないものをキープするところだった。
 思い出を断ち切りDVDを20枚ぐらい捨てた。だが、押し入れには何の変化もない。やっぱり、この押入れは異世界につながっている。