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伝説的映画の視聴体験

by 唐草 [2022/08/26]



 昨日、少女マンガにありがちとされる「パンを咥えた遅刻しそうな女子高生が、曲がり角で男子にぶつかる」というシチュエーションが想像上の産物であり、オリジナルと呼ぶべき作品がないことを書いた。
 パロディとして使われまくっていて一度は目にしたことがある展開なのにオリジナルがないなんて思ってもみなかった。虚像の模倣が架空の真実を作り上げてしまった稀有な例かもしれない。
 こう不可思議なことが起こるのは、実際に触れたことはないけれど人づてになんとなく聞いたことがあるという体験が多いせいかもしれない。特にネットが普及してからは、その傾向が強い。
 名作映画のシナリオは知っているけれど見たことはない。クソゲーだと知っているけれどプレーしたことはない。美味しい飲食店らしいけど食べたこともないし、足を運んだこともない。匿名の空間で飛び交う情報を鵜呑みにして、それを自分の体験として語るようなことがあるのではないだろうか?ぼくもどこまでが実体験で、どこからが伝聞なのか分からなくなっていることもある。
 映画『風と共に去りぬ』は、今でこそ時代錯誤と言われるようになってしまったが、長らく不朽の名作としての地位を確固たるものにしていた。古典文学と同じように見ておくのが教養と言えるレベルだった。
 ぼくも大まかなシナリオを知っているし、有名なシーンの絵を思い浮かべることもできる。でも、前半しか見たことがない。古い作りに辟易してインターミッションで見るのをやめた。
 半分しか見ていないにも関わらず、なんとなく全編見たような知識がある。インターミッションで見るのをやめたが、どこまでがインターミッションなのかは覚えていない。本当の自分の体験がどこまでだったのか線引することはできない。
 インターネットは知の外部化と考えることが多い。でも、本当は知の共有であり、個の線引を曖昧にする存在なのだろう。きっと明日も、未体験の出来事に怒りの声を上げ、未読の作品の感想を上から目線で述べているのだろう。
 この文章だって本当は、全部誰かの記憶かもしれない。