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もったいないの基準が違う

by 唐草 [2023/01/04]



 環境保護は、何年も前から、ものによっては20世紀から声高に叫ばれている。成果を出した活動もあるが、掛け声だけで終わったものも少なくないように思える。
 成果に繋がりにくいのは、自分の活動がどの程度結果に結びついているか分かりにくいからなのではないか?
 「節電」と言われて電気を消したり、エアコンの温度を変えたとしても、それが地球規模でどんな結果につながっているのか全然わからない。ぼくが理解できるのは、せいぜい電気料金の請求書の金額の動向ぐらい。
 同じようにプラスチック削減もアピールだけに終わっている感じがする。自分はちゃんと分別しているのに海洋ゴミと言われても他人事にしか思えない。事実、日本のプラストローを0にするよりもインドのプラゴミ回収率を1%上げるほうが環境への効果は高い。
 SDGsだとかの掛け声に冷ややかな視線を送っているぼくだけど、ひとつだけ熱心に注視しているものがある。
 それがフードロス。
 食べられるものが食べられずに捨てられてしまうというやつだ。
 フードロスを正確に把握するためには、フードロスに3つのステージがあることを理解する必要がある。まずは収穫や配送での1次ロス。ついで、製品化したものの売れ残った2次ロス。最後に購入したが消費されずに廃棄された3次ロス。各ステージでロスの原因や関係者が異なるので、最低でもこのぐらいに区分しないと問題を理解できない。
 ぼくが気にしているのが2次ロス。お弁当やお菓子の売れ残り廃棄だと思ってもらえればいい。
 とは言え、ぼくが2次ロスを問題視している理由は、一般的にフードロス問題に取り組む人とぜんぜん違う。
 食べられるものが、捨てられてしまうことをもったいないと思っているのではない。作った労力が無駄になることが経済的にもったいないと思っているのだ。
 美味しく食べてほしいなと頑張って作ったものが捨てられる。それは完全に無意味な労力の消費。言うなれば社会資本の浪費だ。これがぼくがフードロスに関心を寄せる理由。なので農家が生産調整で作りすぎた野菜を自分で潰すことは正当な経済活動だと思って擁護している。