by 唐草 [2023/01/23]
ここのところ関東のニュースを騒がせている連続強盗事件。SNSで集められた実行犯が、指示役に従って金の有りそうなところを立て続けに襲っている。そのため高齢の被害者が多い。
先日ついに死者が出てしまった。それが狛江市の事件。
犯罪は重ねるごとにエスカレートしていくと言われているが、それを体現している。かなりの騒ぎになっているのでこの先の犯行は止まるだろうけれど、最悪の結末を迎えてしまった。
テレビのニュースで犯行現場が度々映されている。事件のあった家屋も特徴的だが、それ以上に立地が特殊。ひと目見ただけで場所が分かった。2,3度前を通過したことのある場所だ。Googleマップで目星をつけた場所にピンを立てたら、ニュースで見ているのと同じ建物が写っていた。
ほんの些細な手がかりでも知っているところならすぐに分かる。ましてやこれだけ特殊な条件がそろっていれば見間違えることはない。
犯行現場の詳細な位置を知ったところで、事件の本質への理解に変化はないはず。ぼくは犯罪仲間を募集するハッシュタグに触れていない。平凡な見た目の我が家からは金の匂いなんてしないだろう。今回の事件とはなんの関わりもない。毎日どこかで起きている他の事件と同じと言える。
ところが事件現場の詳細な場所を理解して以来、事件に関する印象がガラリと変わった。場所を理解するまで事件は、電車で隣に立っている人ぐらい希薄な存在だった。しかし、今では違う。少なくとも被害者の影が見えるようになった。
なんとも身勝手な話である。
自分が場所を知っていたことを理解して初めて事件を真正面から見つめた。これは裏を返せば、普段目にしているニュースなんて右の耳から入って左の耳から抜けていく程度の意識しか向けていないことの証明でもある。
もちろんすべてのニュースに心を砕いていたら、ぼくの心がすり減ってしまう。適度な無関心さも必要なのかもしれないが、想像以上に無関心だということに気付かされた。
だからといって心を入れ替えはしない。自分は無関心なんだという自覚を持つだけ。