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大賛成

by 唐草 [2012/07/01]



 どんな議論でも賛成派と反対派がいることだろう。真に全会一致の議題があったとしても、そんなものはそもそも議場に挙げようとすら思わないことだろう。
 マスメディアの発信する情報を見ていると、反対派のデモという図式を目にすることがある。賛成派のデモは見たことがない。
 反対するものが存在することを示し、結論ありきでよどみなく決定へと流れていく議会に一石を投じようと声をあげ反対の意思表明をする。日本国内で行われた反対デモが、どの程度の影響力を持っているかは分からない。
 ぼくは、自分の意見が白黒ハッキリしていない事柄に対する反対派のデモを見ても同調することはない。「反対!反対!」との声を聞いても、なぜ反対なのかがよく分からないからだ。
 なかでも理解に苦しむのが、実力行使で議会などの妨害をする連中だ。感情的に反対と唱えているようにしか見えず、知性のかけらも感じられない。
 そいう一部の暴徒化した過激な反対派を見ると、こんな感情を振りまくだけの連中が反対することに同調する気分はまるでなくなってしまう。むしろ、賛成へと傾いてしまう。
 ひょっとして暴徒化する反対派は、反対派のイメージを悪化させるための賛成派の工作員ではないかとさえ疑ってしまう。陰謀説が好きだからこんなことを考えてしまうが、感情ではなく論理で反対してもらわなければ中間層の同調を引きつけるのは難しいだろう。
 このことを踏まえて考えると、過激な賛成派というのはネガティブキャンペーンに使えるのではないだろうか?マスメディアのゴリ押し戦術の底が見えた今ならより効果的かもしれない。
 例えば、原発抗議デモの座り込みをしている人を「賛成」と書かれたプラカードで排除するとか、議場で「利権が必要!」と声をあげたりとか、宗教っぽい感じで賛成のビラを撒くなど今の過激な反対派の行動のままに賛成の声をあげるのだ。
 きっと、驚くほど心象の悪い行為だろう。こんな連中と同じだと思われるぐらいなら反対派に回るという人も出るだろうし、賛成の理由が感情論だと思われることだろう。
 感情のままに反対するよりも、賛成派を貶められる分「大賛成運動」の方が効果がありそうな気がする。暴れるためにデモに参加する人、誰か大賛成デモやってみませんか?