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都会は冷たい

by 唐草 [2013/12/19]



 都会のこんなところがキライという話をネットで読んだ。
 その話では、人身事故が起きた際に多くの乗客が時計を見つめてため息をつくのがキライだと書かれていた。ようするに、事故が起きた際に事故に巻き込まれた人を心配するのではなく、自分が遅れることを心配する姿が冷たくて怖いという話らしい。
 そうか、田舎者はそんな風に思うのか。というのが、この話を読んだぼくの率直な感想。
 小さい頃から20年以上JR中央線を利用してきたぼくにとって、残念ながら人身事故は日常茶飯事。もう、信号機故障とか車両トラブルと同じ感覚である。
 確かに、遠くで見知らぬ誰かが亡くなってしまったのかもしれない。
 でも、いちいちそんな見知らぬ誰かのことを悼んだりする気持ちは全くない。
 人身事故に限らず、人は次々に亡くなっている。事故もあれば、病気もあるだろう。人身事故の場合、偶然にも自分が知り得る場所で人が亡くなったというだけのこと。なぜ、自分が知り得る場所で亡くなっただけの赤の他人のことを悼まなくてはならないのだろう?ぼくには分からない。
 もちろん自分が知っている人の訃報を聞けば、ぼくだって心が沈むし、涙することもあるだろう。でも、見ず知らずの人の死を知っても何も思わないし、誰かのお葬式の前を通っても特に何も思うことはない。
 普通だったらこんな話なんてスルーしてしまいそうなところだが、今回は妙に心に引っかかるものがあった。それも、不愉快な気分が心に残った。
 何が原因なのかを考えてみたところ、実に単純な事に不快感を抱いていたのだ。
 田舎者に、おまえは冷たいヤツだと指さされたことが不快なのではない。
 人身事故で亡くなった人にも気を配れる私って心が豊か!って言っているような感覚が不愉快なのだ。なぜ見知らぬひとりの死にそこまで心を痛めることができるのに、世界中でバタバタと誰かが亡くなっているこの瞬間を平気な顔をして過ごせるのだ。ぼくは、目に入ったり、耳に入ったりする世界のことしか語っていないような視野の狭い考え方に不快感を感じているのである。