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どちらの結末から始めるか

by 唐草 [2020/11/18]



 ここのところ『Fallout:New Vegas』で遊んでいる。先日発売十周年を迎えたゲームだが、これが初めてのプレー。映像はPS3世代なので、今見ると見るとなにもかもがチープに見える。それと同時にゲームの面白さは映像だけで決まるわけではないということを再認識させてくれる。
 なんだかんだ言って、ぼくは『Fallout:New Vegas』を大いに楽しんでいる。『Fallout:New Vegas』が数あるFalloutシリーズの中でもっとも人気の高い作品だという言うことも理解できた。
 このゲームを作ったObsidianという開発チームは、ぶっ飛んだ倫理観に支配された理不尽な世界を描くのがうまい。登場人物全員がハッピーエンドを迎えるような大団円とは程遠い結末がばかりだ。頑張っても少しモヤモヤした気分が残るビターエンドにしかたどり着けない。こう書くと報われないゲームのように聞こえるかもしれない。
 ところが、実際にプレーしてみると印象はガラリと変わる。遊んでいるとプレーヤーであるぼくの決断に従って物語が劇的に変化していくように感じられる。戦争の行方もお宝の行く先もぼくの決断次第で思いのまま。
 これこそゲームというメディアが持っている最大の特性。1つのゲームで異なる展開を楽しむことが出来る。
 今、ぼくは大きな決断、たぶんゲーム中最大の決断を前にしている。最大のキーパーソンを生かすか殺すかという取り返しのつかない決断だ。
 決断を前にしてぼくはセーブデータをコピーした。決断に迷っているからではなく、両方の結末を見てみたいと思ったからだ。
 セーブデータをコピーしてどちらも選択できるようにしたことが、新たな逡巡を生むとは思ってもみなかった。
 自分の意志通りの選択と本心ではない選択のどちらから始めるべきかという迷いである。もし、1度しかプレーできないのならぼくは「生かす」ことを選ぶ。でも、どっちも選べるからこそ迷ってしまうのだ。
 これは好きなものから食べるか、キライなものから食べるのかの迷うときに似た厄介な問題だ。