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できそうなこと

by 唐草 [2024/02/16]



 『ギコネコ3』の制作目的は収益ではない。無償配布で名を広められたら嬉しいという売名の狙いの面もある。とは言え、それは動機としては弱い。公開しても5本ぐらいしかダウンロードされない(内2本は自分)みたいな結果になることは覚悟している。
 それでもコツコツ作り続けているのは、自分自身のレベルアップが期待できるからだ。制作は、これ以上無いほどに実践的で、同時に果て無き自学自習の場である。残念なことにぼくは生徒としても教師としても優秀ではないので、何をするにも想像の1.5倍ぐらいの時間がかかっている。経験の無さから先を見通せないので、ありとあらゆる障害に引っかかっているからだ。
 それは裸足で山登りを始めたぐらい無謀で、すべての石と木の根に足を取られているような無様な状態である。
 それでもゆっくり進み続けた。そして今、1年前の自分からは大きくレベルアップしたと確信している。
 最大の進歩は「ぱっと見できそうに思えるけれど、実際にはやったことのないもの」にぶつかったときに感じられる。こういう問題に向き合ったとき、それが自分の知識や経験がないから簡単そうに見えているだけなのかをすぐに判断できるようになった。
 解決策を検索しようとしたら、それは自分がほとんど理解できていない証拠だ。
 検索結果を見てみると以前にアクセスした履歴が表示されることが多い。前に調べたときに答を見てその場しのぎで問題を解消できていたのかもしれないが、もう一度検索したということは実際には何も身についていなかった証拠である。
 今は、考えるよりも検索したほうが素早く答えにアクセスできる時代だ。単に1つの問題を解消するだけなら検索したほうが良い。
 でも、それでは解決策の理解に基づく次のレベルの発想はできない。ずっと同じステージで堂々巡りするだけだ。
 そんな堂々巡りから脱却して、次のステージへ進むためにぼくがしていることがある。同じことを検索したことに気付いたら、その内容をノート(電子)にまとめるようにしている。日々大小様々なことで厚みを増すぼくのノート。それは無能の証か、それとも継続の証か?