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美味しいと不味いの間で

by 唐草 [2024/01/20]



 何かを食べれば美味しいと思うこともあるし、残念ながら不味いと思うこともある。味覚は個人的な感覚なので、同じものを食べても抱く感覚は人によって異なる。塩味や甘味は科学的に定量できる。だが、感情に起因する美味しさを定量化するのは無理だろう。
 人の舌は食べたものを「美味しい」と「不味い」の2つでデジタルで評価するのではない。「美味しい」と「不味い」の間には、アナログな無限段階のグラデーションが存在している。その白黒はっきりしない領域を見つめると「美味しくない」や「不味くない」という曖昧模糊な表現が存在している。
 さて、「美味しくない」と「不味くない」のどちらが良い評価だろうか?おそらく「不味くない」に軍配が上がるだろう。では、味への否定的な感想である「美味しくない」と「不味い」の違いとはなんだろうか?
 昨年末に涙が出るほど酸っぱいミカンを食べた。ぼくの感想は当然「不味い」だった。この評価に至ったのは、舌が痺れるほどの酸味を大きなマイナス評価としたからだ。その一方で、そのミカンは色艶も良かったし香りも強かった。口にするまでは美味しそうに感じていた。
 だが、そんな加点要素も過度な酸味の減点ですべて消え去った。
 つまり「不味い」とは、異常に酸っぱかったり辛かったり耐えられないほど臭いなどの大きな減点要素があり、総合評価がマイナスになったものを指すのだろう。
 対して「美味しくない」は良い点も悪い点もなく総合評価0点の白紙回答のような味に使われるのかもしれない。
 古典的ディストピア小説である『1984』ではニュースピークと呼ばれる語彙の整理が描かれている。それは否定語を使うことで対義語をなくすというものだ。これに倣えば「不味い」は「美味しくない」に置き換わる。
 事実だけを伝えるのならばこの置き換えで十分だが、ぼくは感情と思想を制限されたディストピアに生きているわけではない。口にしたものへの不平をより正確な表現で述べる権利がある。
 これが虚無な味のリンゴ、美味しくないと予告されていて実際に香りも弱く味の薄いリンゴを食べたときのぼくの頭の中身だ。